哲劇メモ

吉川浩満(@哲学の劇場)の日々の泡

ロングフォーク/スーサイド


久しぶりに単車の話を少々。

この世の中には「ロングフォーク・チョッパー」なる乗り物が存在する。

まさかご存じでないなんてことがあろうかとは思うのだが、まあ、万が一ご存じでない人がいるといけないので説明しよう。まずは「ロングフォーク」から。

ハンドルから伸びて前輪を挟む2本の棒のようなものを「フロントフォーク」と呼ぶ。フロントフォークには、前輪を車体につなぎとめるという見た目そのまんまの役目とともに、性能や安全性のために前輪から伝えられる衝撃を吸収するという重大な役割も担わされている。

しかし世の中には性能や安全性、乗り心地や快適さといった価値をあまり気にとめない人たちがいて、そのフロントフォークをめちゃくちゃに長くしてみたらかっこいいんじゃないかということを思いついた。それで発明されたのが「ロングフォーク」である。右の書影に写っている単車がそれである。いかにも頭がわるそうに見えるが、それでいいのである。

チョッパー」というのは、――その系譜学をいろいろに語る人がいるので簡単に説明するのはむずかしいが、要するに――「虚飾と虚栄に満ち満ちたヤワな状態」にある通常のバイクから余計な造型や部品をぶった切って(チョップして)、かっこいい按配に改造したバイクのことである。

ああ、そうだ。

チョッパーといえば、クエンティン・タランティーノ監督の映画『パルプ・フィクション』(1994)の終盤あたり、ブッチ(役者:ブルース・ウィリス)がサディスティックな悪徳警官ゼッド(役者:ピーター・グリーン)や殺し屋ヴィンセント(役者:ジョン・トラヴォルタ)たちから命からがら逃げ出し、ゼッドのハーレーダビッドソンを拝借して恋人ファビアン(役者:マリア・ディ・メディルシュ)とともに街を出ていくシーン。あれは記憶に新しいところだ(新しくねーよ

パルプ・フィクション [DVD]

パルプ・フィクション [DVD]

とにかくはやく逃げ出さねばならない。単車にまたがり、エンジンをかけようとするブッチ。そのうしろに座ろうとするファビアンが尋ねる。

Butch, whose motorcycle is this?

すかさずブッチが訂正する。

Uh, it's a chopper, baby.

「モーターサイクルじゃない。チョッパーなんだ」……ブッチからしてみれば、ファビアンにたいして悠長にもそんな訂正(=校閲)をしている場合ではないと思うのだが、いちいち訂正するのが律儀でたいへんよろしい。ファビアンは問いなおす。

Whose chopper is this?

ファビアンからしてみても、命の危険にさらされているブッチにたいして悠長にもそんな問いなおしをしている場合ではないと思うのだが、いちいち問いなおすのがかわいくてたいへんよろしい(このように第三者的に見ればかわいくも思えるのだが、もし――ほとんどありえないと思われる無意味な想定だが、もし――わたしがブッチの立場にあったとしたならば、こんなやりとりはまどろっこしくてやってられんだろう。べつにファビアンからつきあってくれとか頼まれたわけではないが、わたしは彼女とうまくやっていく自信がない。というか、いったいなにを妄想しているのだろうかわたしは。そんなことはファビアンから頼まれてから考えればよいではないか)。

ここから先はまとめて。

Butch: Uh, it's Zed's.
Fabienne: Who's Zed?
Butch: Uh, Zed's dead, baby. Zed's dead.

そういうわけで、ゼッドの単車は「モーターサイクル」ではなく、あくまで「チョッパー」なのである。ちなみにブッチのセリフにため息が多いのは、いうまでもなく、彼が命がけの死闘から帰還したばかりで弱っていたからである(それにブッチもまどろっこしさを感じていたのかもしれない)。

ああ。そうだ。

かのBlankey Jet Cityに「PUNKY BAD HIP」という名曲がある(当時は"The" Blankey Jet Cityであった)。

C.B.Jim

C.B.Jim

その曲には突然こんなフレーズが出てくる。

フロントフォークがいちばん長いのは C.B.Jim

これももちろん、ロングフォーク・チョッパーを指している。C.B.Jimのチョッパーのフロントフォークがいちばん長いということは、イクォールすなわちC.B.Jimがいちばん偉いということである。いかにも頭がわるそうに思えるが、それでいいのである。ちなみに、楽曲に「フロントフォークがいちばん長いのは」という言葉が使われたのは、おそらく人類史上はじめてのことであろう。そして今後ふたたび使われることも決してないであろう(たぶん)。

いかん。話がそれた。閑話休題

要するに「ロングフォーク・チョッパー」というのは

  • フロントフォークをめちゃくちゃに長く伸ばした
  • 虚飾をぶった切ったかっこいい単車

のことであり、おもにハーレーダビッドソン製のそれを指す。ただそれだけを書きたかったのだが、こんなことになってしまった。

で、なんでロングフォーク・チョッパーの話をしようと思ったのかというと、昨日買ったハーレーダビッドソン専門誌『HOT BIKE Japan』最新号で、池田伸編集長による記事「ロングフォークの存在意義」を紹介したかったからである。

で、なんで「ロングフォークの存在意義」を紹介しようと思ったのかというと、そこで紹介されているロングフォーク・チョッパーの「スーサイド」仕様について書いてみたかったからである。

もちろん、慧眼なる読者諸賢は当記事のタイトルに「スーサイド」という文字列が含まれていること、そしてそれにもかかわらずいまだにその文字列にたいする説明が一向にあらわれてこないことにすでにお気づきのことであろう。さしずめ「スーサイドはどこに行ったんだ?」と詰め寄りたいところなのだろう。かのキース・リチャーズが「最近のロックンロールはどうですか?」というインタヴュアーの質問にたいして、「ロックンロール? 最近はどいつもこいつもロックとかぬかしてるじゃねーか... ロックロックってよぉ。ロールはどこに行ったんだ?」(大意)と反問したときのような気持ちで(違

そう。そうだった。

もともとは「ロングフォーク・チョッパースーサイド仕様」についての話をしようとしていたのだった。それが「スーサイド」の手前で力尽きてしまったというわけだ。そのことにいま気がついた。しかし時すでに遅し。実際、もう午前4時だ。本題はこれからのはずなのだが、すでにこの記事には十分(10分じゃないよ)すぎるほどの時間と労力を費やしてしまった(こんなしょーもない記事を書くのにも、わたしにはたいへんな時間がかかってしまうのである。こういうのにぴったりの言葉がある。すなわち「燃費わるい」)。今日は1時に寝るつもりだったのに... 明日の仕事のために、もう寝ます。おやすみなさい。

スーサイドはどこに行ったんだ。

ホットバイクジャパン - 公式サイト

◇【関連記事】哲劇メモ > [単車]

世界、そして愛


翻訳原稿のブラッシュアップとメルマガ原稿の構想(いまだ迷走中)。

迷走といえば。

もちろん子どものころから勝新太郎のことは知ってはいた。しかしわたしが知っていたのはあくまで「勝新太郎」であり、「テレビや映画の作品に出てくる誰か」でもなければ、「誰かの役を演じている勝新太郎」ですらなかった。どこまでいっても勝新勝新だったのである。

さて、生まれてはじめて「役者として」の勝新太郎を観ることができるかもしれないという望みを抱いたのは、彼が死んだときにテレビで放映された映画『迷走地図』(1983)であった。主役はもちろん勝新で(久々の映画復帰であった)、その役どころは通産大臣。大物政治家である。さあどんな大物ぶりを発揮してくれるのか。わたしは興奮と不安とともにテレビの前に座った。しかし彼が姿を見せた瞬間、思わずわたしは叫んでいた。

てか勝新じゃん!

やっぱり彼は通産大臣などではなかった。やっぱり勝新以外の何者でもなかった。

 *-*

サンボマスターの新曲。ついに世界+愛で来やがった。フジテレビ系ドラマ『電車男』主題歌。

世界はそれを愛と呼ぶんだぜ

世界はそれを愛と呼ぶんだぜ

サンボマスター - 公式サイト

フジテレビ『電車男』 - きっかけは、フジテレビ

バルタサル・グラシアン


(という記事をさきほど書いたのですが、諸事情によりまるごと削除しました。すみません。悔やまれるかた――そんな奇特なかたがいらっしゃるかどうかわかりませんが――は、精神的肉体的世間的等々さまざまなハードルを乗り越え、ルーマンフォーラムならびにルーマン読書会にご参加ください。<宣伝)

日曜社会学 > ルーマン・フォーラム

◇【関連記事】哲劇メモ > [GdG]


バルタサル・グラシアンの成功の哲学―人生を磨く永遠の知恵

バルタサル・グラシアンの成功の哲学―人生を磨く永遠の知恵

賢者の教え―せち辛い人生をいかに生きぬくか (リュウブックス)

賢者の教え―せち辛い人生をいかに生きぬくか (リュウブックス)

バルタザールの悪の自分学―何のための人生か、誰のための人生か

バルタザールの悪の自分学―何のための人生か、誰のための人生か