哲劇メモ

吉川浩満(@哲学の劇場)の日々の泡

意味と他者性

武蔵小金井のラーメン屋でのこと。

店にはいると、「ランチタイムはラーメン大盛またはライスをサービス!」という貼り紙がある。そして時はまさにランチタイムであった。

隣の席におじさんがやってきた。ポロシャツに綿パン姿。フツーの、といっては語弊があるかもしれないが、まあ、フツーのニッポンのおじさんである。

若い男性店員がおじさんに尋ねる。

「ラーメン大盛りかライスがサービスになりますが、いかがでしょうか?」
「えっ?」

おじさんが聞き返した。きっと店員の声が聞こえなかったのだろう。

店員は同じ言葉を繰り返した。するとおじさん、再び、「えっ?」と聞き返す。この時点で、なにかただならぬことが起こっているのではないかという微かな予感が、わたくしの脳裏をよぎった。

そのまま会話をなかったことにするわけにもいかない。店員はなおも繰り返す。

「ランチタイムですので、ラーメンの大盛かライスが無料でつきます。どちらかおつけしますか?」

少しだけ言葉が補われた。この時点で、店の全体が静まり返り、客たちの目はおじさんに釘づけになっていた。そのころには客たちのだれもが、店内でなにかたいへんな事態が進行中であることに気づかざるをえなかった。

おじさんは突然――見るからに困惑の色を浮かべながら――早口でこうまくしたてた。

「なに言ってるか全然わかんない!」

‐完‐

おつかれさま

おじさん@ラーメン屋の話(*)を書いていたら、「救急車で運ばれたオカモトくん」のことを思い出した。

もう半年ちかくも前のこと(正確には2004年4月27日。とある事情により日付も覚えている)。

京王井の頭線のホームで、携帯電話で話をしている男性がいた。年のころは……25歳前後といったところか。若いが、たぶん新入社員ではない。少しくたびれた感じスーツ姿(俗にいう「就活」用に買ったスーツが着古されたような)であった。

電話に向かって、なにやらなにごとかを熱心に説明している風である。声が大きかったので、数メートルは離れていたわたくしのほうにまで声が届いた。

「あ、昨日、救急車で運ばれたオカモトです……あ、はい。おつかれさまです。あ、はい。……」

オカモトくんよ、オマエモナー。

穴を掘る、穴を埋める


穴を掘る。スコップで土をかきだす。なぜ掘るのか。そこで躓いたからだ、ときみは言う。

しかし、いくら掘っても、そこにはなにも見つからないだろう。そもそも、躓いたのは地面においてであり、地中においてではなかったわけなのだから。

もちろん、あらゆる意味でなにも見つからないというわけではないだろう。穴掘りはおもしろい。掘り進めていくと、その土の硬さ、匂い、地層の様子などに触れることができる。だからついつい夢中になるのだ。

しかし、それがなんだというのか。そう、なんでもない。地面で躓いたことの原因を、地中でなら見出せるとでも思っているのか。

穴をどこまで掘り進めるかは、きみがどこで納得するかにのみ、かかっている。または、どこで挫折するかに。

あとは、さきほど掘った穴を埋めていく作業があるばかりだ。しかし、ひょっとしたら、これがいちばん大事な作業なのかもしれない。穴掘りよりもずっと。

とにかく、穴埋めに手を抜いてはならない。かきだした土をきちんと穴に戻し、踏み固めておかねばならない。ほんの少しでもかきだした土を残してはならない。

これを適当にすませてしまうと、あとでまた躓くことになる。おしゃべりなどをしている最中に、気がつかないまま当の場所に足を踏み入れる。そのとき、グシャとしたやわらかい感触とともにきみはふたたび躓くことになるだろう。さらにわるいことに、そのとききみは、やはり自分は躓くして躓いたのだと小躍りしてよろこび、そこでまたふたたび穴掘りをはじめてしまう破目になるのだ。

傍らを過ぎる通行人は笑うだろう(もしかしたら怒りだす人もいるかもしれないが、べつにきみは人から怒られるほど大それたことをしているわけでもなかろう)。

笑われることで、きみは自分の行為を恥ずかしく思うかもしれない。でも、それを気にすることはない。勝手に笑わせておけばよい。きみの穴掘りは通行人にとってはほとんどどうでもよいことなのだから。ただ、穴を掘ってしまったからには、穴を埋めることにも注力せねばなるまい。もちろん、苦労して穴をきれいに埋めたところで、ほめてくれる通行人などだれもいないことだろうが。

きみは、穴を掘れば笑われ、またその穴を埋めたところで、だれからほめてもらえるというわけでもない。しかし、それはあたりまえのことだ。もともと穴などなかったところに穴を掘ったのはきみなのだから。きみは、ただただきみ自身のためにのみ、穴を埋めればそれでよい。

穴を埋めることができたとき、一連の作業はきみの糧になっただろうか。なるわけがない。いやむしろ、なったなどと考えてはならない。穴埋めは、きみの好きな単車のようにきみをどこかすてきなところへ連れ出してくれるわけではない。穴埋めは穴埋めにすぎない。ただ、穴を埋めたことによって、これまでどおりに歩き回れるようになった、ただそれだけのことだ。

とにかく、穴埋めに手を抜いてはならない。