哲劇メモ

吉川浩満(@哲学の劇場)の日々の泡

この数日間と、数年間

穴倉卓球場の道場主が中国に一時帰国することになり、なかば無理やりに道場の管理を命じられた。そんなわけで数日前より穴倉のような卓球場で生活している。掃除、洗濯、昼寝、ときどき卓球コーチ。細切れの空き時間には細切れの読書(とiPhoneあそび)。あともう少しだけ、こんな日々がつづく予定。

いったい俺はなにをしてんだろう。どうしてこんなことになっちゃったんだろう。草木も眠る丑三つ時、ひっそりと静まりかえった無人の卓球場で、そんなつぶやきを発してみたりみなかったり。

もともとは物書き仕事の動機づけと紹介のためにはじめたこのブログも、最初の2、3年こそ楽しく運営できたし、場合によっては読者のみんなにも少しは楽しんでもらえたりしたこともあったかもしれないが、この数年間の荒廃ぶりときたら。2006年からこのかた、拙ブログは絶賛開店休業中である。本業である著作の刊行も同じく2006年の『問題がモンダイなのだ』(ちくまプリマー新書)を最後に途絶えている。

えっ、もう4年も前のこと? そう、過ぎ去りしゼロ年代の話である。これはもう、ほとんど物書きとして終わっちゃってるよね、といわれてもしかたあるまい。

かつての仕事仲間や勉強仲間と再会したときに、「なにしてんの?」「卓球? かな」「え、卓球? ってあの卓球?」 「うん、……その卓球。なんかすんません」てな応酬がなされることになるのも、この卓球熱中症によって数年間が失われたからだ。しまいには、「いったいキミはどこへ行こうとしているの?」とか訊かれる始末(いえてる!)。

いやべつに、自分探しの旅にでかけたまま迷走中!とか、そういうつもりはぜんぜんないんです。むしろ少しは自分を探してみてもいいんじゃんってくらい、無考えなままいろんなことに流されてきただけなんです。それがために現在こんな体たらくになってしまったというか……(まあサボってる間に卓球方面においては数々の偉業をなしとげてしまったわけだけど。結果的には)。

さて。

問題は、このままでいいのか、ということである。

もちろん、いいに決まっている。ぼくの卓球生活がだれかに危害を与えるというわけでもなかろうし。ただ、困ったことがひとつだけある。それは、こんな状態がつづくと、ぼく自身がおおいに困るということである。

どうして困るのかといえば、ぼくは本を書きたいからである。このままでは死ぬまで書けそうにない。それだけは困る!

世の中あんがい上手くできてるなと思うのは、そんなことを考えながら煮詰まっていたちょうどそのとき、左ヒザの半月板損傷および右ヒジの上腕骨外側上顆炎(いわゆるテニス肘)に見舞われるという悲劇が小生の身に降りかかったからである! これじゃあさすがに激しい練習はできないね。まして試合なんてもってのほかだね。どんなにやりたくてもできないね。卓球。うん、できないできない。仮にできたとしてもコーチングだけだね(それも身体的負担の少ない部類のね)。

というわけで、今年からまた書きはじめることにいたします。みなさま、今後ともご指導ご鞭撻のほど、何卒よろしくお願い申し上げます。

で、なにを書くかは、これから決めます(オイ

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