哲劇メモ

吉川浩満(@哲学の劇場)の日々の泡

マルケスとセリーヌ


今日はじめて知ったこと。

電車内で、背中にデカデカと「Garcia Marques」とプリントされたジャケットを着ている人が隣に座った。話しかけやすそうな人だったので、思わず「ガルシア・マルケスっていうノーベル賞作家とは関係ないんですよね?」と尋ねてしまった。

百年の孤独

百年の孤独

その人は(予想どおり)気さくに答えてくれたが、作家のガルシア・マルケスのことはご存じでなかった。「たぶん、関係ないと思います」とのこと。

調べてみたら、ガルシア・マルケスなるショップ/ブランドが神宮前にある。その筋では有名なようだ。知らんかった。

 ◇GARCIA MARQUES
 http://www.garcia-style.com/

 *-*

そのとき、ふいに、某特殊版元勤務時代に図書館営業(*)をしていたときのある出来事がよみがえってきた(Cf.『失われた時を求めて』におけるマドレーヌの場面)。

  • (*)この図書館営業についても詳しく書きたいところだが、当時の上司であった所長の目も光っているし、いろいろとさしさわりがあるので、いまは書けない。いつか機が熟したら書いてみたいと思う。

わたしはK奈川県のとある公立図書館に営業に出かけた。朝から出かけるにはちょっと微妙な距離だったので、前日に同社の先輩Sさんのお宅に泊めていただいた(*)。

  • (*)これについても書きたいことはあるのだが、上記と同じ理由からいろいろとさしさわりがあるので、いまは書けない。いつか(以下略

翌朝、Sさんの母上に見送られ、わたしは特殊版元の特殊本満載の社用車(ハイエース。社内ではなぜか「バス」と呼ばれていた)を飛ばし、図書館へと向かった。

現場につくなり、同社の本が詰まった十数個のプラスチックボックス(同社では「同行箱」と呼ばれていた)を床に並べる(これがなかなかのムスケル・アルバイト=筋肉労働である)。それを司書の方々にご笑覧いただき、あわよくばご購入いただこう(というか、ご購入いただけなければ困る)という算段である。

さて、同社が刊行していたシリーズのひとつに、『セリーヌの作品』という、20世紀フランスの異端作家ルイ=フェルディナン・セリーヌの作品集があった(いまもあるが)。ちなみにこれは戦時にセリーヌが書き散らした政治的パンフレットをも含む、世界的にみても画期的な作品集である(先年、20数年もかかったうえでめでたく完結したが、当時はまだ刊行中――というか事実上の開店休業状態――であった)。

司書のひとりがそれに目をつけた(お目が高い!)。そしてこう尋ねてきた。

これって、あのセリーヌですか?

わたしは困った。

あの」って、いったい「どのセリーヌなんだろう。さまざまな思いがわたしの「胸中を去来」した。頭をフル回転させて、司書さんのおっしゃる「あの」がなにを指すのか、わたしの貧弱なCPUパワーを振り絞って脳内を全文検索してみた(ちなみに当時セリーヌ・ディオンは影も形もなかった)。しかし、どうにも思いあたらない。有名なアパレルブランド、「セリーヌ」(CELINE)を除いては。

 ◇CELINE
 http://www.celine.com/

脳内を全文検索しているあいだに無限の時が流れ去ったようにも思えたが、しかしせいぜい0.5〜1秒くらいの間合いだったろう。

しかたない。おそらくはあのセリーヌのことをいってるんだろう――まことに失礼ながら、その司書さんは文学にはほとんど関心がなさそうであった――が、もういいや。あのセリーヌどのセリーヌであっても、ふん、かまうものか。

わたしは胸を張って答えた。

そうです、あのセリーヌです!

めでたく『セリーヌの作品』をご購入いただけたのかどうか、いまとなっては思い出せない。

セリーヌの作品〈第10巻〉評論―虫けらどもをひねりつぶせ

セリーヌの作品〈第10巻〉評論―虫けらどもをひねりつぶせ

追記

当記事掲載直後より、各方面から「おいおい(アパレルの)ガルシア・マルケス有名だよ!/有名ですよ!」(大意)というご指摘をいただいた。世事に疎いとこういう恥ずかしい記事を書く羽目になるのだなぁ。だってほんとに今日知ったんだもん。(ご教示くださった方々、ありがとうございました。今後ともご指導ご鞭撻のほど、よろしくお願い申し上げます。)

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