哲劇メモ

吉川浩満(@哲学の劇場)の日々の泡

卓球部サーガ――モッチャンとタイタニック


久しぶりにモッチャンのことを書いてみようと思い立った。

モッチャンとは高校時代の同級生。また高校卓球部の仲間でもあった。彼について書くのはこれで3回目になる。前回はいつだったかと調べてみたところ、奇遇にも、今日からちょうど1年前の2005年4月14日のことだとわかった。

前2回と比べて今回は相対的に地味な話だが、ぼくはそうした地味なエピソードにこそ、より強い愛着を感じる。でも、そうしたものほど語るのがむずかしい。うまく語る自信はないが、ともかくやってみよう。

  • ※本稿を(奇特にも)お読みになってくださるかたには、連載順に読み進めることをおすすめします。なんとなく。

 *-*

タイタニック号モッチャンは寡黙な男であった。そして正直者であった。

われわれ卓球部仲間は、高校を卒業した後にも集まることがある。全世界に散らばった――「全国に」ではなく「全世界に」と言わなければならないのは、のちに述べるようにモッチャンの存在によるのだが――仲間たちが一堂に会する機会はめったにない。それでも、盆や正月には故郷に帰省してきた仲間が奇跡的に集合できることもある。

あれはいつのことだったろうか。

たしか7〜8年前のことだったと思う。モッチャンが帰省しているとの情報に、卓球部仲間は騒然となった。なぜかというに、モッチャンは東京商船大学(現・東京海洋大学)を卒業後、海外諸国に鉄鋼を運搬する超巨大船(タンカーみたいなもの)の乗組員となり、いま地球上のどこにいるのかも定かではないような――海の上であることだけはたしかであるような――生活を送っていたからである。

大山(*1)に生まれ育ったモッチャンが、どうしたわけで海の人となったのか。これについても書かなければならないことはいろいろとあるのだが、長くなるのでいまは割愛する。

エニウェイ。その年のお盆だったかお正月だったか、同じ卓球部仲間のKチョが、大山のモッチャン家に試しに電話をかけてみた。すると、いるわけもないと思っていたモッチャンが電話に出てきたというのである。Kチョが質してみると、「いまお休み」というあっさりとした回答が返ってきたとの由。

いったいどこにいるのかわからないどころか、その生死すら定かではないモッチャンが故郷に実在しているとの報に接したわれわれは、急遽モッチャンを囲む会を企画した。

ところで、われわれ卓球部仲間は――モッチャンを除いて――大山の麓に広がるY市に居住していた。今回の「囲む会」もY市で行われる。だから大山の山中からご足労を願わなければならない(高校時代にもモッチャンは毎朝はるばる大山からバスと汽車(*2)を乗り継いで学校にやってきていた)。

  • (*2)われわれは鉄道列車を「電車」ではなく「汽車」と呼んでいた。実際に「電化」されていなかったと思う。

せっかくだから車で迎えにいってあげようよ。誰からともなくそんな声があがった。なにしろモッチャンを囲む会なのだから。わざわざ不便なバスと汽車を使わせるわけにはいかない。しかし運わるく当日に車を出せる者はいなかった。

結局、卓球部とはなんのかかわりもないKチョの妹――いま仮に「K子」と呼ぶとしよう――が、大山までモッチャンを迎えにいくことになった(ああ、かわいそうなK子!)。

K子は大山でモッチャンを拾い、そのままY市に向かった。

ここで付言しておかなければならないのは、モッチャンが極端に無口な男だったという事実である。毎日何時間もいっしょにいたはずなのに、ぼくはモッチャンと「話し込ん」だり「語り合っ」たりした記憶が一切ない。もちろん、ダブルスのパートナーでもあったモッチャンと数かぎりない会話を交わしたことはたしかだ。しかしそれは「ボールとって」とか「調子いいね今日」とか「ラバー換えたら?」などの事務的な内容がほとんどであった。彼がおのれの胸中を吐露したり、みずからの思想を語ったりしたことなど、絶えてなかった。だからこそ、ときおり彼の口から飛び出してくる発言には衝撃的なものがあったのだが――たとえば「時間だけ移動できるのはタイムベルト」(*3)発言など――、それについて話しだすと長くなるので、これも割愛する。

上記から想像されるとおり、モッチャンを乗せたとたんに車中は重苦しい沈黙に支配された。K子は焦る。ただでさえ初対面にひとしい相手と、ふたりっきりで、しかもほとんど密室といってよい空間を共有しているのである。この沈黙をどうにかしなければならない。

本来ならモッチャンのほうから、わざわざ迎えにきてくれたK子の労をねぎらい、「ありがとね助かったよ」とか「いつ免許とったの?」とかいう調子でその場の緊張感をほぐしてあげてもよさそうなものだ。しかし、もとより彼はそんな軽いカンヴァセーションをこなせるような男ではなかった。

『タイタニック』K子はハンドルを固く握りしめながら、必死に会話の糸口を探った。

あっ!

……数分後、ついにK子は糸口を探り当てたような気がした。ときあたかも、映画『タイタニック』が一世を風靡していた時代。そういえば、モッチャンは巨大な鉄鋼運搬船の乗組員として世界を渡り歩いている、そう兄から聞いた。そうだ、船の話だ。そしていまや、船といえばタイタニックだ。タイタニックの話をすれば、モッチャンだってその重い口を開いてくれるにちがいない。

K子はついに沈黙を破った。

タイタニック、観ました。

ぼくはK子のその機転を多としたい。見ず知らずの相手と話さなければならなくなったとき、なにか「共通の話題」を見つけるというのはなかなか手堅い手法だ。船については詳しくなくとも、世間の話題をさらっている『タイタニック』を俎上にのせれば、そこから出発して、モッチャンもみずからの船上生活についてなにか語ってくれるにちがいない。そうなればしめたものだ。このK子の着想は――それ自体としては――なかなかのものだったといまでも思っている。ただ、その相手がモッチャンであったということだけが、彼女の不運であった(ああ、かわいそうなK子!)。

K子が渾身の力を込めて放った『タイタニック』の話題は、しかし、予想だにしなかった展開をもって一瞬にして終結することになった。

K子が「タイタニック」の話題を口にしたとき、たしかにモッチャンは口を開いた。しかし彼は、虚空の一点を凝視しながら、顔をしかめ、重い口調で、喉から声を絞りだすように、こうつぶやいたのである。

あんなところで死にたくない。

シーーーン。

その後、Y市に到着するまで、K子がただの一言も口を開くことができなかったのは言うまでもない(いわんやモッチャンをや)。

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