可塑性のヘーゲル
- カトリーヌ・マラブー『ヘーゲルの未来――可塑性・時間性・弁証法』西山雄二訳、未來社、2005
- 作者: カトリーヌマラブー,Catherine Malabou,西山雄二
- 出版社/メーカー: 未来社
- 発売日: 2005/07
- メディア: 単行本
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ジャック・デリダの指導のもとで書かれた彼女の国家博士論文(提出されたのは1994年、出版されたのは1996年)。かなりの難物だが、巻末に収められた訳者の西山雄二氏の解説「カトリーヌ・マラブーが塑造する可塑性の未来のために」は非常に有益。
【目次】日本語版への序文
謝辞
はしがき序論
I 問題設定
A)ヘーゲル哲学は「過去のもの」なのだろうか?
B)可塑性の約束
II 可塑性の試練にかけられるヘーゲル哲学
A)可塑性という概念の通常の意味
B)ヘーゲルによる可塑性の思想
C)弁証法と「予見=不測」
III ヘーゲルの二つの時間
A)論理的区別化
B)時系列(クロノロジー)的区別化
C)思弁的論述と超越論的論述
IV 『精神哲学』の読解第一部 ヘーゲルの人間、第二の自然の加工方法
序言
I 「人間学」の薄明
II 習慣のステータス
A)実体-主体のギリシア的契機
B)習慣、否定的なものの二重化の特殊様態
C)可塑性
III道程第一章 「人間学」通釈
I 「自然的な魂」、元素的な同等性という概念の契機
A)「普遍的な魂」
B)「自然的質」の特殊性
C)個体的主体の個別性
D)「直接的判断」あるいは「自然的変化」
II 「感覚」、「感情」、「自己感情」――判断の契機あるいは個別性の危機的試練
A)感覚
B)「感じる魂」
C)直接性における「自己感情」――精神錯乱
III 習慣と〈自己〉の推論第二章 ヌースの可塑性について――ヘーゲルによる『霊魂論』読解
I ヘーゲルによるヌース理解
A)知性とその「存在様態」
B)ヘーゲルの「誤解」
II 『霊魂論』第二巻――感覚
A)論証手続きの呈示
B)範例――習慣(ヘクシス)と人間(アントローポス)
III 『霊魂論』第三巻――思惟作用
A)ヌースと否定性
B)習慣と時間性
IV 結論第三章 習慣と有機的な生物
I 習慣づけられた生命のさまざまな場
II 収縮とハビトゥス
III 収縮と「理論」
IV 変化の保存とエネルギーの反転可能性
V 動物的習慣と蓋然性なきその限界第四章 問われる人間の固有性――可塑的個体
I 「内的なもの」と「外的なもの」――記号の自然的エコノミー
II 「魂の芸術作品」と意味のモンタージュ
A)習慣と思考
B)習慣と意志
III 偶有性の本質的生成
A)可塑的個体性
B)習慣の存在論的意義
結論第二部 ヘーゲルの神、二重の本性の転回
序言
I 主体および主題とみなされた神
A)歴史哲学的視点
B)『エンチュクロペディー』の宗教的契機の特殊性
II 思弁的神学の批判
A)束縛された神
B)未来なき神
C)存在-神学の成就
III 受動性から神の可塑性へ
IV 道程第一章 「啓示された宗教」通釈
I 宗教の「概念」
A)自己啓示
B)表象の「諸領域」
II 純粋思惟の境位にある三位一体
III 被造物の例外的立場 世界と悪
IV 和解 〈啓示〉の三つの推論
A)第一の〈啓示〉の推論
B)第二の〈啓示〉の推論
C)第三の〈啓示〉の推論
V 結論 祭祀における信仰から思惟へ第二章 超越性なき神? ヘーゲルに抗する神学者たち
I 〈父〉の思弁的没落
A)無化(ケノーシス)についてのヘーゲル的理解
B)ヘーゲルの三位一体概念
II ヘーゲルによる信仰あるいは「概念的食欲」
A)過激なルター主義?
B)カール・バルトの応答
III 表象の運命 宗教の未来としての哲学的合理性
IV 不可能な未来第三章 神の死と哲学の死――疎外化の二重の運命
I 「神自身が死んだ」――神という出来事
A)『信仰と知』
B)『精神現象学』
C)『宗教哲学講義』
II 「神自身が死んだ」「主体性の形而上学」の到来
A)知と信仰の対立の新しい意味
B)プロテスタンティズムの「苦痛の詩」としての哲学
C)哲学の「空虚」
III 神の疎外化と近代的主体の疎外化の統一性
A)表象
B)神の可塑性に向けて第四章 神の可塑性、あるいは出来事の転回
I 神の可塑性とは何か
A)概念の正当性
B)可塑性の助けを求める造形芸術 偶有性の本質的生成
II 啓示された時間
A)「生命過程」
B)有限性
C)現象と世界
III 結論 神学と哲学の思弁的連関結論
I 神と超越論的想像力
II ハイデガーによる時間の止揚(アウフヘーブンク)の読解
III 古代ギリシアと近代の十字架にかけられた神第三部 ヘーゲルの哲学者、落下の二つの方法
序言
I 絶対知と形の贈与
II 述語的なものから思弁的なものへの移行
III 道程第一章 「哲学」通釈
I 哲学という概念 再び見出された境位
II 哲学の判断 思弁的な形式と内容――芸術、宗教、哲学
III 哲学的推論――反省された後の自然
A)第一の推論:論理、自然、精神――実習期間
B)第二の推論:自然、精神、論理――学の出現
C)第三の推論:精神、論理、自然――理念の離脱第二章 弁証法的単純化
I 止揚(アウフヘーブンク)の可塑的取扱いのために
A)力の一撃と悪無限のあいだの絶対知
B)複数の保存と複数の抹消
C)止揚(アウフヘーブンク)の過去と未来
II 単純化とその諸傾向
A)概念的短縮
B)切れ味の鈍い意味の尖端
C)「梗概化された」加速作用
D)要約された形式の諸様態
III 単純化は習慣的であると同時に無化的である
IV 結論 精神の滞留としての〈体系〉第三章 「自発的に」
I 「〈自己〉の離脱」
A)「哲学」の第三の推論への回帰
B)止揚(アウフヘーブンク)と放棄
C)「私」を欠いた総合
II 原因について
A)〈自己〉とその自動運動
B)偶然、必然、自由
C)本質と偶有性の連関
III 結論 エネルギーの解放第四章 哲学者と読者、思弁的命題
I (ヘーゲルとともに)ヘーゲルを読むことはできるのか
A)思弁的解釈学のために
B)いくつかの反論
C)ヘーゲルの応答
II 言語と哲学――固有言語の空間と時間
III 思弁的命題
A)述語への傾斜
B)欠如した総合
C)読解との関係における述語的なものから思弁的なものへの移行結論
I 読解という出来事
A)「私」、読者
B)二つの威力
C)構成と再構成
II ヘーゲルがハイデガーを読む
III 予見=不測注
参考文献
訳者あとがき カトリーヌ・マラブーが塑造する可塑性の未来のために
索引