哲劇メモ

吉川浩満(@哲学の劇場)の日々の泡

私が生きづらいのは進化論のせいだと思うんですけど、と山本さんは言った。

αシノドス最新号に登場。ご笑覧ください。

  • 【インタビュー】「生きづらいのは進化論のせいですか?」――吉川浩満氏インタビュー、『αシノドス 特集:私たちの「進化論」』185、2015/12/1

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特集最後は、吉川浩満さんへのインタビュー「生きづらいのは進化論のせいですか?」です。『理不尽な進化』著者の吉川さんに「私が生きづらいのは進化論のせいだと思うんですけど」という素朴な疑問をぶつけてきました。(はじめに)

シノドス山本さんによるインタビュー記事です。ちょっとだけ引用。

ある自然科学の専門家が、本書を読んで「凡人の考えを撃って何がおもしろいのか」という趣旨のコメントをしているのを見かけたことがあります。

言いたいことはよくわかります。 (中略)もし進化論という学問を発展させたいならば、凡人にかかずらうことなく、非凡な研究者や研究成果と付き合い、新しい知見を生みだす努力をしなければなりません。もちろん私も一人の進化論ファンとして研究の進展を願っています。でも、それは私の仕事ではありません。専門家の仕事です。

では、何がしたかったのか。それは、進化論を語るときに凡人たる私たち一般人は実際のところ何をしていることになるのか、これを理解することでした。この社会に流通している進化論のイメージが、科学の世界で運用されている進化論と違うことは、ちょっと調べればすぐにわかります。でも、どうしてこのような乖離が生じるのか、それによって私たちにはどんな利得や損失があるのか、これを考えてくれる人はめったにいません。

どれだけ成功したかは心許ないにせよ、本書で私はこのことについて考え、とりあえずの仮説を提示しました。先に述べたように、私たちは進化論を言葉のお守りのように使用しているのではないかということ、そしてそれは自然淘汰説がもつ独特の性質によって導かれるものではないかということ、これがその仮説です。

結果として「凡人の考えを撃って」いるように見えることもあるかもしれませんが、私の関心は批判や教化を行うことではなく、あくまで理解することにあります。

ふだん私たちは何を考えているのか、何をしていることになるのか。これが関心であり、これはこれでひょっとしたら、私たち現代人のセルフ・ポートレイトあるいは現代社会の習俗を伝える社会人類学的資料として、非凡な成果につながるかもしれない仕事だと思っています。

山本さんの編集後記もお見逃しなく。今回もいい味でてます。

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