ゆきだるマ
文久元年の冬には、江戸に一度も雪が降らなかった。冬じゅうに少しも雪を見ないというのは、殆ど前代未聞の奇蹟であるかのように、江戸の人々が不思議がって云いはやしていると、その埋め合わせというのか、あくる年の文久二年の春には、正月の元旦から大雪がふり出して、三ガ日の間ふり通した結果は、八百八町を真っ白に埋めてしまった。
古老の口碑によると、この雪は三尺も積ったと伝えられている。江戸で三尺の雪――それは余ほど割引きをして聞かなければならないが、ともかくも其の雪が正月の二十日頃まで消え残っていたというのから推し量ると、かなりの多量であったことは想像するに難くない。少なくとも江戸に於いては、近年未曾有の大雪であったに相違ない。
それほどの大雪にうずめられている間に、のん気な江戸の人達は、たとい回礼に出ることを怠っても、雪達磨をこしらえることを忘れなかった。諸方の辻々には思い思いの意匠を凝らした雪達磨が、申し合わせたように炭団の大きい眼をむいて座禅をくんでいた。ことに今年はその材料が豊富であるので、場所によっては見あげるばかりの大達磨が、雪解け路に行き悩んでいる往来の人々を睥睨しながら坐り込んでいた。
しかもしれらの大小達磨は、いつまでも大江戸のまん中にのさばり返って存在することを許されなかった。七草も過ぎ、蔵開きの十一日も過ぎてくると、かれらの影もだんだんに薄れて、日あたりの向きによって頭の上から融けて来るのもあった。肩のあたりから頽れて来るものもあった。腰のぬけたのもあった。こうして惨めな、みにくい姿を晒しながら、黒い眼玉ばかりを形見に残して、かれらの白いかげは大江戸の巷から一つ一つ消えて行った。
その消えてゆく運命を荷っている雪達磨のうちでも、日かげに陣取っていたものは比較的に長い寿命を保つことが出来た。一ツ橋門外の二番御火除け地の隅に居据っている雪だるまも、一方に曲木家の御用屋敷を折り廻しているので、正月の十五日頃までは満足にその形骸を保っていたが、藪入りも過ぎた十七日には朝から寒さが俄かにゆるんだので、もう堪まらなくなって脆くもその形をくずしはじめた。これは高さ六、七尺の大きいものであったが、それがだんだんとくずれ出すと共に、その白いかたまりの底には更にひとりの人間があたかも座禅を組んだような形をしているのが見いだされた。
「や、雪達磨のなかに人間が埋まっていた」
この噂がそれからそれへと拡がって、(以下略)
ほとばしる文才。以上、岡本綺堂「半七捕物帳」シリーズ中の「雪達磨」より。つづきは下記作品にてお楽しみください。
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