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哲劇メモ

吉川浩満(@哲学の劇場)の日々の泡

超低レヴェルな我が闘争

たいへん低レヴェルな格闘を日夜くりひろげている。この数年来の見果てぬ夢は、毎日すこしずつでもデスクに向かうことだった。夢という表現のとおりに、それはいまだ実現されていない。

だれもがデスクに向かわなければならないというわけではないが、わたしは向かわなければならないように思う。本を読んだり書いたりする仕事は、できればデスクで取り組みたいのだ。

たったこれしきのことができずに数年が過ぎた。これは緩慢な自殺ではないかと思われるような抑鬱状態のもとで、眠くもないのに眠るしかない、ウンウンと唸りながら惰眠をむさぼるだけの状態に甘んじてきた。

よろしい。デスクなどという些細な事柄にこだわるのがよくないのだ。じっさい仕事さえできるのなら、いつどこでどのように取り組もうと同じことだ。しかし、そうは問屋がおろさない。

そもそも、「いつどこでどのように取り組もうと同じことだ」と言えるような境地にあれば、じっさいにいつどこでどのように取り組もうと同じこととして仕事に取り組むことができるだろうと思う。

それができないから、せめてデスクに向かおうと思ったのだった。レイモンド・チャンドラーの教えのとおり、たとえなにも書かなくとも、毎日とにかく決まった時間はデスクに向かうこと。

しかし、そう決めたとたん、そんな些細な日課すらこなすことができないという事実に直面し、いっそう憂鬱になる。その先の大きな目標のために定めた些細な日課が、ほかのなによりも大きな障害のように思えてくる。

さきほど思わず、「べつにデスクのことが大事なわけではない」と書きそうになった。そのとき気がついたのは、デスクが大事なわけではないと思いながら、しかしことさらデスクに執着していることだ。

ふつうに事をなしている人なら、サラッと、「いや、デスクは大事ですよ」とか、あるいは逆に「いやいや、どこでもいいんですよ」などと言えるんじゃないかと思う(わかんないけど。ただのひがみかもしれない)。

転倒している。取り違えている。ビョーキである。そう思う。でも、どうしたら抜け出せるのか。逆立ちしていて、問題をすりかえていて、病的である。でも、どうやって立つのか。この感じ、わかる人にはわかると思う。

そういえば、さっき「ふつう」って言った。それで思い出したけど、よく、たとえばクリエイティヴな人とかが、「ふつうとか、みんなとか、そんな言葉が必要なの?」と言うでしょう。言ってることはわかるよ。

思考停止におちいらないための修辞疑問。でも逆に言うと、そういう言葉は、ついつい思考停止におちいってしまいそうになるくらい、自明なものに思えるってことでしょう。たとえ、よく考えるてみると自明じゃなくっても。

でも、いまはもう、いきなり不明な感じがする。人間様ご自身は「人間なんてロクなもんじゃないよ」とか言うかもしれないけど、しかし妖怪人間はあくまで「はやく人間になりたい!」と願うような(違うかもしれない)。

そりゃあ、ふつうもみんなも人間も関係なく、なんというか、フリースタイルでいきたいですよ。ちなみに、この文章はキッチンに置いてあるMacBookでわざわざ書いているんだけど、なんだか自縄自縛な感じ。

そりゃあ、小腹が空いた村上春樹の小説の主人公がありあわせの食材でサクッとパスタをつくるみたいに、たいした内容もない日々の雑感(←この記事)なのでサクッとキッチンで更新しちゃいました的なノリならばいいですよ。

でも、やっぱり違うんですね。なにかから逃避して、明らかに自らをキッチンに追いやってるんですね。そこで「あえて」のデスクですよ。……って、話がふりだしに戻っちゃった。一事が万事、こんな具合であります。

さて。

そんな超低レヴェルな我が闘争の日々でありますが、さいわい達成ゼロというわけでもなく。……精神科医の斎藤環さんと脳科学者の茂木健一郎さんの往復書簡をもとにした書籍が、来月あたり双風舎さんから出ます。

双風舎 > 往復書簡の書籍化について
http://sofusha.moe-nifty.com/blog/2010/06/post-2bc3.html

もちろん著者としてではありません。ご本人へのインタヴューや注釈の作成などをやってます。刊行時期については、双風舎さんのウェブサイト(ブログ)において、近々アナウンスがあると思います。

双風舎 > 双風亭日乗
http://sofusha.moe-nifty.com/blog/

何卒よろしくお願い申し上げます。