哲劇メモ

吉川浩満(@哲学の劇場)の日々の泡

久しぶりに☆本が出ます

既発表/書き下ろし拙稿のほか、稲葉振一郎さん、大澤真幸さん、橘玲さん、千葉雅也さん、山本貴光くんとの対談鼎談も収録。7月20日発売予定。予約可能。

  • 吉川浩満『人間の解剖はサルの解剖のための鍵である』河出書房新社、2018/7

人間の解剖はサルの解剖のための鍵である

人間の解剖はサルの解剖のための鍵である

もちろん装丁はこれ↓ではありません。寄藤文平さん+鈴木千佳子さん(文平銀座)による超絶いかしたブックデザインになります。

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以下に目次とまえがきの一部をご紹介します。もしご興味をひかれましたら、ぜひご予約をお願いいたします。m(_ _)m

【目次】

0 序
0 ‒ 1 まえがき
0 ‒ 2 序章:人間(再)入門のために──1989/2019/2049

1 認知革命
1 ‒ 1 ヒトの過去・現在・未来──『サピエンス全史』とともに考える
1 ‒ 2 合理性のマトリックスとロボットの戦い──認知と進化の観点から
1 ‒ 3 社会問題としての倫理学──道徳心理学、人工知能、功利主義
1 ‒ 4 人間の〈未来〉/未来の〈人間〉──産業社会論、SF、共和主義(稲葉振一郎+吉川浩満)

2 進化と絶滅
2 ‒ 1 「生きづらいのは進化論のせいですか?」──進化論と現代社会
2 ‒ 2 人類の起源という考えそのものについて──起源神話のふたつのドグマ
2 ‒ 3 人新世における人間──ヒトのつくった地質年代
2 ‒ 4 絶滅とともに哲学は可能か ──思弁的実在論、未来の他者、女性の公式(大澤真幸+千葉雅也+吉川浩満)

3 人物
3 ‒ 1 リチャード・ドーキンス──文明史におけるドーキンス
3 ‒ 2 アンリ・ファーブル──進化論ぎらい
3 ‒ 3 多田富雄──自然科学とリベラルアーツ
3 ‒ 4 見田宗介──大人の青年
3 ‒ 5 バーナード・ウィリアムズ──道徳における運

4 作品
4 ‒ 1 二一世紀の〈人間〉のための二一冊──フーコーからポストヒューマンSFまで
4 ‒ 2 『利己的な遺伝子』からはじまる一〇冊──刊行四〇周年を機に(橘玲+吉川浩満)
4 ‒ 3 人間本性から出発する──『啓蒙思想2・0』『心は遺伝子の論理で決まるのか』(山本貴光+吉川浩満)
4 ‒ 4 メタ道徳としての功利主義 グリーン『モラル・トライブズ』
4 ‒ 5 リベラル派は保守派に学べ? ハイト『社会はなぜ左と右にわかれるのか』
4 ‒ 6 リバタリアン・パターナリズムの可能性 サンスティーン『選択しないという選択』
4 ‒ 7 チューリングの革命と変容するリアリティ フロリディ『第四の革命』
4 ‒ 8 ポジティヴ・コンピューティングの挑戦 カルヴォ他『ウェルビーイングの設計論』
4 ‒ 9 汎用人工知能の文明史的意義 シャナハン『シンギュラリティ』
4 ‒10 ゲノム編集技術はなにをもたらすか ダウドナ他『CRISPR /クリスパー』
4 ‒11 インターフェースをたどる哲学的実践 プレヒト『哲学オデュッセイ』
4 ‒12 フロム・カタストロフ・ティル・ドーン 島田雅彦『カタストロフ・マニア』
4 ‒13 危険な知識をめぐる二つの問い 映画『猿の惑星』シリーズ
4 ‒14 レプリカントに人間を学ぶ 映画『ブレードランナー』『ブレードランナー2049』

あとがき

【まえがき(抄録)】

本書は、現在生じている人間観の変容にかんする調査報告である。

そこで大きな役割を演じているのは、急速な発展をみせる認知と進化にかんする科学と技術である。認知革命と呼ばれる知的運動から生まれた認知心理学、行動経済学、人工知能研究。遺伝子の観点から進化をみる血縁淘汰説(利己的遺伝子説)によってアップデートされた社会生物学、進化心理学、人間行動生態学。こうした諸科学は、従来の人間観に改訂を迫るような知見をもたらしている。

ここで人間観とは、人間にたいする見方という程度の意味だが、我々自身が人間であるために、それは自分にたいする見方、つまり自己像でもある。だから人間観について考えることは、人間とはなにかだけでなく、我々は自分たちをなんだと思っているのかを考えることでもある。

たとえば、認知にかんする科学と技術の粋を集めた人工知能関連技術の発展は、我々の自己像にも影響を与えずにはいない。この数年間で我々は、これまで自らの誇りとしてきた知性・知能を、人工知能プログラムのそれがはるかに凌駕するのを目の当たりにした。その結果、それでは人間の強みや独自性とはなんだろうかと、自己像の再考と修正を余儀なくされている。

それだけではない。進化と生命にかかわる技術、たとえばゲノム編集技術をはじめとするバイオテクノロジーは、人間観どころか、人間そのものを生物学的に改変する能力を獲得しつつある。近い将来、バイオテクノロジーは生物種としてのヒトの進化の方向性を左右するほどの影響力をもつようになるだろう。

こうした状況をどう理解すればよいかをめぐって、あちこちで混乱が生じている。人工知能が人間の知性を超え文明と社会を一変させるというシンギュラリティ論議はその典型である。事実の報告なのか願望の表明なのか、状況の説明なのか企画の宣伝なのか、にわかには判別できない議論があふれている。そうした混乱をよそに、軍用・民生用の人工知能ロボットの開発や人間のサイボーグ化技術、ゲノム編集技術を用いた治療やエンハンスメントのために、すでに多額の資金が投入されている。

私としては、まず、わかっていることとわかっていないことを区別したい。できればさらに、わかっていると思っていることのなかから本当はわかっていないことを、また、わからないと思っていることのなかから本当はわかっているはずのことを取りだしたい。うまくいけば、状況を適切に理解したうえで重要な問いに専念できるようになるだろう。

(……)

結果として、本書は人間にかかわる新しい科学と技術についての要約と評論を集めた一冊になった。私は、芸術や政治についてだけでなく、科学や技術についても評論や批評が必要だと考えている。人間本性の解明にかんして大きな成功を収めている認知と進化にかんする諸科学も、それ自体では一般的・抽象的なモデルにすぎないし、途方もない潜在能力をもつゲノム編集や人工知能のテクノロジーも、実際に人間社会にどのような影響を及ぼすのかは必ずしも明らかではない。科学や技術の内容を理解するだけでなく、それらが我々の社会や生活においてもちうる意義を考えたいのである。ところで、評論を行うためには、評者が評者なりの仕方で評論の対象を要約しなければならない。この要約には、認知的資源の節約と大局的状況の把握という点で、あなどれない有用性があると思う。もちろん、それが適切な要約であればの話だが。

この本のタイトルは『人間の解剖はサルの解剖のための鍵である』という。これは、カール・マルクスが『資本論草稿』に書きつけた「人間の解剖は、猿の解剖のための一つの鍵である」という一節から借用したものだ(マルクス『マルクス資本論草稿集1 一八五七─五八年の経済学草稿第一分冊』資本論草稿集翻訳委員会訳、大月書店、一九八一)。いっけん逆説的である。逆ならまだしも、どうしてわざわざ人間を解剖して猿のことを知らなければならないのか。だが、これはマルクスの非凡な歴史観を示す見事な修辞である。

まず、実際に人間にかんする知識は猿についての研究に役立つ。たとえば、猿のグルーミング(毛づくろい)には順位制の維持や紛争の調停といった社会的コミュニケーションの機能があるといわれている。それを我々が理解できるのは、我々がすでにコミュニケーションにかんする高度な理論と実践を身につけているからだ。マルクスは続ける。「より低級な動物種類にあるより高級なものへの予兆は、このより高級なもの自体がすでに知られているばあいにだけ、理解することができる」と。

もう少しうがった見方もできる。二〇一六年、東京大学合格を目指す人工知能研究プロジェクト「ロボットは東大に入れるか」(東ロボくん)が、東大合格を実現できぬまま終了した。さらなるブレイクスルーがなければ東ロボくんは東大レヴェルの入試をパスすることはできないと判断されたのだが、注目すべきは、最終年のセンター試験模試では五科目で総合偏差値五七・一をマークしたことである。一部の有名私立大学や国公立大学に合格できるレヴェルとのことだ。猿には失礼ながらあえて戯画化すると、東ロボくんはすでに人並み以上の能力を備えており、それに比べると我々の多くはむしろ猿に近いということだ。猿並みの我々としては、人並み以上の人工知能から人間を学ぶにしくはないのである。

さらにもうひとつ、こんな見方もできる。人間の解剖が猿の解剖に役立つからといって、猿は人間になると決まっているわけではない。グルーミングは必ずしも言葉によるコミュニケーションに進化するとは決まっていないし、羽毛は必ずしも翼になるとは決まっていない。つまり、進化の道筋は必ずしも厳密に決まっているわけではない。ここで、もし人間から学ぶことができる猿がいたならば、人間の犯した誤りを回避し、もっとまともな世界を築くことができるようになるかもしれないのである。

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