読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

哲劇メモ

吉川浩満(@哲学の劇場)の日々の泡

アンナ・カレーニナ(中)

文学

アンナ・カレーニナ〈中〉 (新潮文庫)

アンナ・カレーニナ〈中〉 (新潮文庫)

中巻を読了(第3〜5編)、下巻へ(第6編〜)。

メモ

コズヌイシェフは、頭の疲れを休めたいと思って、いつものように外国へ行くかわりに、五月の末に、田舎の異父弟のところへやって来た。彼は、田園生活こそ最高の生活であると確信していた。彼は今この生活を楽しむために、弟のところへやって来たのであった。リョーヴィンはとても喜んだ。彼はもうこの夏は、兄のニコライが来そうもないと思っていた矢先だったので、その喜びはなおさらであった。ところが、リョーヴィンはコズヌイシェフを愛し、かつ尊敬していたにもかかわらず、この兄とふたりで田舎暮しをするのは、なんとなくばつが悪かった。つまり、この兄の農村に対する態度を見るのが、ばつが悪いというよりも、不愉快でさえあったからである。リョーヴィンにとっては、農村は生活の場、すなわち、喜びと、悲しみと、労働の場であった。ところが、コズヌイシェフにとっては、田舎暮しは、一方からいえぼ、労働のあとの休息であると同時に、いま一方からいえぱ、堕落を防ぐのに有効な解毒剤であって、彼自身もその効能を認めて、喜んで服用しているのであった。リョーヴィンにとって田舎が好ましかったのは、そこが疑いもなく、有益な労働の道揚であったからであり、コズヌイシェフにとって田舎がとくに好ましかったのは、そこではなにもしないでいられるから、いや、なにもしてはならないからであった。そのほか、農民に対するコズヌイシエフの態度は、リョーヴィンにいささか不快な印象を与えた。コズヌイシェフは、自分は農民を愛しかつ理解していると称して、よく百姓を相手に話をした。彼の話術はなかなか巧みで、わざとらしいところや、ぶったところがなく、そうした話をするたびごとに、なにかしら農民の側に有利な一般的資料や、自分は農民を知っているという証拠を引きだすのであった。農民に対するこのような態度は、リョーヴィンの気に入らなかった。リョーヴィンにとっては、農民は共同の仕事にたずさわる重要な協力者でしかなかった。したがって、彼は百姓に対しては深い尊敬をいだいており、自分でもいっているとおり、おそらく百姓女の乳母の乳といっしょに吸いこんだであろう一種の肉親的な愛情を感じていたので、彼自身も共同の仕事における協力者として、農民のもつ力や、温厚さや、高潔さに、時として有頂天になることもあった。しかし、それにもかかわらず、この共同の仕事においてもっと別な資質が要求される場合には、彼も農民ののんきさや、だらしなさや、のんだくれや、うそつきなどの悪癖に対して、憤慨することもまれではなかった。リョーヴィンは、もし農民を愛しているかときかれたら、それに対してなんと答えたらいいか、さっばりわからなかったにちがいない。彼は、普通、すべての人に対してと同様、農民を愛すると同時に嫌悪していた。もちろん、彼は善良な人間のつねとして、人をきらうよりも愛することのほうが多かった。これは農民の場合でも同様であった。しかし、彼は農民をなにか特別なものとして、愛したりきらったりすることは、できなかった。なぜなら、彼は農民とともに生活し、自分のすべての利害が農民に結びつけられていたばかりでなく、自分自身をも農民の一部と考え、自分自身と農民の中になにひとつ特別な美点や欠点を見いだすことなく、したがって、自分を農民と対立させて考えることができなかったからである。そのほか、彼は主人として、調停委員として、また何よりも相談相手として(百姓たちは彼を信頼しており、四十キロも遠いところから、彼のもとへ相談にやって来た)長いあいだ農民ときわめて親密な関係で生活してきながら、農民についてはなんらの定見をももっていなかった。したがって、農民を理解しているかという問いに対しても、農民を愛しているかときかれた場合と同様、その返答に窮したにちがいない。もし農民を理解しているといったら、それは彼にとって、人間を理解しているというのにひとしかった。彼はつね日ごろから、あらゆる種類の人間を観察し、少しずつ認識を新たにしていった。その中には百姓も含まれており、彼は百姓を善良な興味ある人間と考えていたので、彼らの中にたえず新しい特質を発見し、彼らに対する以前の考えを変更することによって、新たな意見を組み立てていった。ところが、コズヌイシェフはその反対であった。彼は自分の好まぬ生活との対照において、田園生活を愛しかつ賞讃していたが、それとまったく同様に、彼は自分の好まぬ階級の人びととの対照において、農民を愛していたのであり、一般に普通の人間と相反したなにものかとして、農民を理解していたのであった。彼の方法論的なものの考え方の中には、農民生活というものの一定の形式が、ちゃんとつくりあげられていた。それは部分的に農民生活そのものから引きだされたものであったが、しかし、その大部分は、対照的なものの見方から生れたものであった。彼は農民についての意見も、農民に対する同情的態度も、ついぞ一度も変更したことはなかった。ところが、このふたりの兄弟のあいだで、農民についての見解が生れる場合には、いつもコズヌイシェフが弟を負かすことになるのであった。というのは、コズヌイシェフはいつも農民について、その性格、資質、趣味などについて、ある一定の見解をもっていたのに対して、リョーヴィンには、そうした一定不変の見解というものがまったくなかったからである。したがって、論争となると、リョーヴィンは、いつも自己撞着を指摘されるのであった。

コズヌイシェフの目には、弟は、ちゃんとした(彼はフランス風にこんな表現をした)心情をそなえた、愛すべき好漢ではあったが、ただ知的な面では、頭が敏活に働くとはいうものの、その時々の印象に影響されやすく、そのために、矛盾撞着におちいっているように思われた。彼は兄としての寛大な気持から、ときには、弟に物事の意義を説明してやったが、弟と議論をすることには満足を覚えなかった。相手を負かすのが、あまりにも容易だったからである。

リョーヴィンは、この兄を卓越した知性と教養を備えた人物として、もっともすぐれた意味における高潔な人物として、また万人の福祉のために活動する能力を授けられた人物としてながめていた。しかし、その心の奥底では、自分が年をとって新しく兄という人物を知れば知るほど、ますます次のような考えが頭に浮んでくるのであった。すなわち、自分にまったく欠けていると思われるこの万人の福祉のために活動できる能力というものは、ひょっとすると、けっしてすぐれた資質ではなくて、かえって、なにかの欠如を意味するものなのではあるまいか。もっともそれはなにも善良で、正直で、潔白な願望や、趣味の欠如というのではなく、生命力の欠如とか、心情と呼ばれるものの欠如とか、人びとが自分の前に無数に開けている人生行路のうちからただ一つを選び、ただそれだけを希求するあの衝動の欠如とかいったものなのではなかろうか。彼は兄という人物を知るにしたがって、ますます次のような点に気づいていった。すなわち、コズヌイシェフにしても、また万人の福祉のために働く他の多くの活動家にしても、心の底からそうした万人の福祉のための仕事にひかれていったのではなく、そうした仕事に従事するのはよいことだと理性で判断したうえ、ただそのためにのみそうした仕事にたずさわっているのであった。なおそのほか、リョーヴインは兄が万人の福祉とか、霊魂の不滅とかいう間題を、将棋の勝負や新しい機械の変った構造の問題以上には、身近なものに感じていないことを見てとり、ますますこの判断に確信をもつようになった。

このほか、リョーヴィンが田舎で兄と暮すのを気まずくさせていた理由が、もう一つあった。それは、田舎にいると、ことに夏場は、リョーヴィンはつねに農事に追われていて、必要ないっさいの仕事をなしとげるには、夏の長い日も足りないほどであるのに、コズヌイシェフはのんびりと休息していたからである。もっとも、彼は今のんびり休息していたが、つまり、著述の筆こそとっていなかったが、いつも知的な労働に慣れっこになっているので、頭に浮んでくる思想を美しく圧縮された形式で表現するのを好み、かつ、それをだれかに聞いてもらうのを喜んだ。ところで、こうした場合、彼にとってもっとも自然な、ふさわしい聞き手は、弟であった。したがって、ふたりの関係は、親しいざっくばらんなものであったにもかかわらず、リョーヴィンは兄をひとりぼっちにしておくのが、なんとなく気まずかった。コズヌイシェフは、日のあたる草の上にねそべったまま、日に照りつけられながら、のんびりとおしゃべりをするのが好きだった。

「おまえにはとても信じられないだろうが」彼は弟に話しかけた。「こうした小ロシア風ののんびりした気分は、ぼくにとってこのうえもなく楽しいことなんだよ。頭の中には考えなんてなにひとつなくなって、玉でもころがしたいくらいからっぼだよ」

しかし、リョーヴインにはその場にすわって、兄の話を聞いているのは退屈だった。とくに、彼は自分のいないあいだに、百姓たちが畝を切ってもいない畑へどんどん肥料を運んでしまい、監督していなけれぱ、どんなやり方をするかもしれないことや、犂の歯をねじでよく留めもしないでおきながら、あとでこんな犂なんか愚にもつかない発明だ、アンドレエヴナ婆さんの犂のほうがずっとましだ、などといいだしかねないのを承知していたので、なおさらじっと落ち着いていられなかったのである。

「おまえも、こんな炎天を歩きまわるのは、もうたくさんじゃないか」コズヌイシェフは弟にいった。

「いや、ぼくはちょっと、事務所へ行って来るだけですよ」リョーヴィンは答え、畑のほうへ駆けだして行った。(pp.5-11)

リョーヴィンと、その兄コズヌイシェフ。トーマス・マン的対比法。

《ああ、兄さんは死にかけている。きっと、春まではもたないだろう。じゃ、いったい、どうやって救いの手をさしのべたらいいのか? 兄さんにはなんといったものだろう? この問題についておれは、なにを知っているというのだ? いや、これがなにかってことさえ、おれは忘れていたんじゃないか》

リョーヴィンは、相手の必要以上の謙遜や従順に、ばつの悪い思いをさせられると、今度は逆に、そのあまりのわがままと意地の悪いからみぶりに、やりきれなくなることがあることに、もうずっと前から気づいていた。彼は、兄の場合にもこれと同じことが起るのではないかと思っていた。そして実際、ニコライのおとなしさは、ほんのわずかしかつづかなかった。彼はもうさっそくあくる日の朝から、いらいらしはじめて、弟にからんできては、そのもっとも痛いところにさわるのであった。

リョーヴィンは、自分が悪いと感じながらも、それを改めることができなかった。彼は、もし自分たちふたりが虚勢をはらずに、いわゆる、胸襟を開いて語り合うならば、つまり、自分が考えたり、感じたりしていることをありのまま口にしたら、ふたりはただお互いに顔を見合せて、自分はただ、『あなたは死ぬのだ、あなたは死ぬのだ、あなたは死ぬのだというだろうし、兄はただ、『死ぬってことはわかっているさ。でも、こわいんだ、こわいんだ、こわいんだ!』と答えるにちがいないと、感じていた。もしふたりが、胸襟を開いて語り合うならば、それ以外のことはけっしていわないであろう。しかし、とてもこんなふうに暮すことはできなかったから、リョーヴィンはこれまで何度もやってみながら、一度だってうまくいったためしのないことをやろうと試みた。それは、彼の観察によると、多くの人がじつに見事にやっていることであり、それをしなくては生きていけないものであった。つまり、彼は心にもないことをいおうとしたのである。しかし、それはいつもそらぞらしく聞えるような気がしたうえ、兄はそれを悟って、なおいっそういらいらするように思われた。(pp.233-244)

別の兄、死につつあるニコライとリョーヴィン。