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哲劇メモ

吉川浩満(@哲学の劇場)の日々の泡

夏休みの宿題

◆『心脳問題』――夏休みの宿題*1


[MB]=拙著『心脳問題――「脳の世紀」を生き抜く』についてのスレです(スレじゃないが)。


ちなみに、このスレ(スレじゃ(ry)における筆者たちの願望は、読者のみなさんからいただいたコメントや筆者自身のコメントを出発点として、いったいどんなおもしろいことを考えることができるかを、できるかぎり明晰にとりだし、みなさんとともに展開してみることです。


ひとの言葉で恐縮ですが、↓のような姿勢で臨めたらと(努力目標)。

よくトレーニングされた科学者というのは、自分が考えている考えをあたかも机の上にあるオブジェのように観ることができるんですね。議論で、あるアイデアを出すとしますね。自分から出たアイデアだからそれを擁護するかと思うとそうではなくて、そのアイデアを自分の前にいったん置くんですね。それで、「こういう角度から見るとこういうふうに見えるけれど、君が言ったこの角度から見るとこういうふうにも見えるよね」って、オブジェを眺めるようなかたちで議論できるんですね。
――茂木健一郎(聞き手・歌田明弘『脳の中の小さな神々』柏書房、p.141


さて、超ノロノロ運転ですが、酒井さん(id:contractio)から提示していただいた疑問について、ひきつづき考えてみます。


 ◇id:contractioさん([Sin-No])
 http://d.hatena.ne.jp/contractio/searchdiary?word=%2a%5bSin%2dNo%5d

 ◇id:yakumoizuru(相棒)([MB])
 http://d.hatena.ne.jp/yakumoizuru/searchdiary?word=%2a%5bMB%5d

 ◇id:clinamen([MB])
 http://d.hatena.ne.jp/clinamen/searchdiary?word=%2a%5bMB%5d


酒井さんの疑問(とid:chocolat_chaudさんのメモ)から出発して、いろんなこと(ほんとにいろんなこと!)を考えられそうなのですが、いまのままでは頭の中が乱気流/タービュランス*2状態なので、まずはみなさんに触発されて筆者たちが考えてみたいと思っていることをリストアップしてみます。

  • 「ライルの方針」の吟味。「ライルの方針」とはなにか? それに従うとはどのようなことか?
  • 上記をもとにした本書の主題の吟味。「ライルの方針」に首尾一貫して従った場合、本書の主題はどのように変わる/変わらないか?
  • 「規律からコントロールへ」の吟味。
    • 「社会は規律型からコントロール型に移行している」という命題は、「平然と車内で化粧する人は脳がおかしい」とか「ゲームばかりやっていると脳がおかしくなる」といった命題と、その資格において、どのような違いがあるか?
    • (いったん本書から離れて)フーコー(+ドゥルーズ)の社会記述は、どのような考えかたにもとづいており、それにはどのような意味/意義があるか?
    • (いったん本書から離れて)フーコー(+ドゥルーズ)の社会記述と、たとえばエスノメソドロジストのそれとを比べる意味はあるか?(または、どのように比べたら意味のある比べかたになるか?) あるとしたら両者はどのように違う/同じか? どのような関係/無関係があるか?(ルーマンは?)
  • 『心脳問題』の構成(前半(第1章〜第3章)と後半(第3章〜第4章)がそれぞれ異なった考えかたに拠っているように思えること)の吟味(終章はここではとりあえず除外)。(同じことの繰り返しかもしれないが)前半/後半それぞれが拠っている考えかたはどのようなものか? それらは本書においてどのようなしかたで組み合わされて(接続されて)いるか? その組み合わせによってなにが得られた/失われたか?
しかし、まだこのままでは「さぁ夏休みの宿題やるゾ!」と思っても、まだマトモにとりかかれないような気もします。並べかたも含め、問い(たち)をもう少しきちんと分節化しないと。も少し考えます。


(ちょっとこれから出かけてきます*3。帰宅後、余裕があれば手を入れます。)

*1:夏休みなんてないんですが。というか年中夏休みと言ったほうがよいか……。orz

*2:ロバート・バトラー監督、アメリカ、1997年。http://d.hatena.ne.jp/clinamen/20040717#p2

*3:用事用事。