哲劇メモ

吉川浩満(@哲学の劇場)の日々の泡

哲劇メモなる物に就て(2005年11月版)


マ、(犬)神の光に祝福される

  • ※写真は(犬)神の光に祝福されるマ。

このところ、マ(犬)や音楽の話題ばかりになってしまっており、心苦しいかぎりであります(このブログ、いちおう哲学情報サイト「哲学の劇場」の出張所のはずなのですが)。 理由は下記のとおり。

  • 執筆/翻訳の仕事に七転八倒している
  • 気休めはマを愛でることと音楽を聴くことくらい
  • いきおいマ写真とディスク紹介の記事が大量発生

しかしもちろん、ブログ作成者のわたくしといたしましても、せっかくわざわざお越しいただいたからには、

チェックしといて得した!(気がしなくもなくはないかもしれない)

などと錯覚していただけなければ困るので、まともな記事を書けないときには、せめて(ある種の人びとに)有益と思われる情報――新刊、新譜、新作、イベント情報――くらいはできるだけ掲載していく所存です。

ちなみに、現在かかりっきりになっているのは、哲学者ジョン・R・サールの新著の翻訳です(下記記事参照)。

◇哲劇メモ > サール『Mind』翻訳/エディ・ヴァン・ヘイレン紀元(20050819)
http://d.hatena.ne.jp/clinamen/20050819/p2

さて最近、拙ブログを(ありがたくも)新たにご高覧くださる方々が(ほんの少しだけ)増えている(ような気がする)ので、今日はあらためて拙ブログの内容ついてご紹介させていただきます(2005年11月版/毎月この記事を読まされて辟易している人はすっ飛ばしてください)。

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拙ブログ「哲劇メモ」の記事内容は大まかにいって下記の3つに分類できます。

  1. 各種情報
  2. 雑文
  3. 身辺雑記

1の各種情報には、本の新刊案内、音楽の新譜案内、イベント告知、ニュースリンクなどが含まれています。わたしにとって興味のあるモノやコト――できれば新しい/あまり知られていないであろうモノやコト――をご紹介することが目的です。個々の記事は、おもに下記のカテゴリーに(すべてではないですが)収められています。

2の雑文とは、つまりわたしが好き勝手に書いている駄文類のこと。テーマは雑多で、科学/芸術/哲学にかんする作家や作品についてのメモや批評から、仕事の宣伝、目下わたしが探究したいと考えているトピックにかんするメモ、マ(愛犬マルティナ=通称マ)との交流、単車(おもにハーレーダビッドソン)の話題のほか、とくにこれといった特定のテーマをもたない随筆のようなもの(=似非エセー)まで含みます。ヴォリュームとしてはここがいちばん大きいように思われます。

ちなみに最初の[随想]カテゴリーに含まれる記事は、わたしが常日頃より敬愛してやまない作家たちの文章――たとえば、プルタルコス『モラリア』マルクス・アウレリウス・アントニヌス『自省録』エピクテートス『人生談義』キケロ『弁論家について』セネカ『倫理論集』モンテーニュ『エセー』デカルト方法序説スピノザ『往復書簡集』ルソー『孤独な散歩者の夢想』ニーチェ『悦ばしき知識』ドストエフスキー『作家の日記』トルストイ『要約福音書ウィトゲンシュタイン『文化と価値』内田魯庵『読書放浪』中江兆民『一年有半』薄田泣菫『茶話』幸田文『みそっかす』武田百合子富士日記深沢七郎『言わなければよかったのに日記』グスタフ・ヤノーホ『カフカとの対話』石原吉郎『望郷と海』ジャン・アメリー『善悪の彼岸』プリーモ・レーヴィ『溺れるものと救われるもの』寺山修司『スポーツ版裏町人生』大西巨人大西巨人文選』橋本治『青空人生相談所』杉浦日向子『ウルトラ人生相談』中島らも『明るい悩み相談室』鷺沢萠『私の話』小倉千加子『結婚の条件』北原みのり『フェミの嫌われ方』川上弘美『ゆっくりさよならをとなえる』田島正樹『魂の美と幸い』、等々(順不同)――を「お手本」とし(た「つもり」――あくまでつもりですのでその点ご注意ください――になっ)て書きつづったものです。ご覧のとおり、結果的には質においても内容においてもまったくちがったヘンチクリンなものになっちゃってますが。個々の記事は、おもに上記のカテゴリーに(すべてではないですが)収められています。

で、3の身辺雑記。これは文字通り身辺雑記で、日々に起こった小事件や出会った小ネタなどを紹介しています。個々の記事は、おもに下記のカテゴリーに(すべてではないですが)収められています。

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詳しくは、画面右側にある連載別/内容別目次をご覧ください。内容別目次では、「哲学」「文学」「社会学」「音楽」などの文化領域別の分類も行っております。

また、画面右上には検索窓もあります。ここに好きな言葉――たとえば「子曰、朝聞道、夕死可矣」とか(ってそういう意味じゃないか)――を入れてボタンを押すと、このブログのなかを検索できます。目当ての記事が見つからない場合には、ぜひキーワード検索をお試しください(見つかる保証はありませんが)。

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記事一覧拙ブログの記事一覧を眺めていて、その乱雑ぶりにはわれながら辟易してしまいます。たとえば、カルナップ「言語の論理的分析による形而上学の克服」のレジュメの隣にマ散歩の写真が並んでいたり、簡単な新刊情報の隣に20000字の雑文が掲載されていたり、という具合。これでは、拙ブログを一瞥されたときに「なんじゃこりゃ」と思われてもしかたがありません。世の中にはジャンルやスタイルを限定して美しく仕上がっているブログがたくさんあり、それらを見るにつけ感嘆し羨望の念を禁じえないのですが、わたしにはいまのところそんな芸当はできません。

それと、わたしが人様のブログを読む際に、あまりにたくさんのテーマや記事があると、なんだか次第に足が遠のいていきがちだという事実に最近気づいたという事情もあります。今日あらためて拙ブログのご紹介をさせていただいたのは、できればあなたにそんな辟易を感じていただきたくないためでありました。

人の興味はそれこそ「人さまざま」(©テオプラストス)ですから、犬の記事だけを読みたい人や、または哲学関連の情報だけを知りたい人や、はたまた単車にしか興味がない人もいらっしゃることでしょう。そんな場合には、拙ブログの乱雑さをやりすごしつつ、画面右側のメニューにある連載別/内容別目次やブログ内検索から、お好みのテーマに直行していただけたらと思います。

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ところで、拙ブログはいちおうウェブサイト「哲学の劇場」の出張所という位置づけになっております。哲学にかんする記事を期待されているかたにおかれましては、最近なんだか哲学の話題が少ないではないかというご感想をお持ちになるやもしれません。おっしゃるとおりです。とくにこの1〜2か月は少ないです。このような場合、理由はだいたい下記ふたつのうちのどちらかであります。

  1. ほかの哲学関連の仕事に精一杯で手が回らない
  2. そもそも哲学そのものにかかずらうのに疲れている

現在は(冒頭でも述べたとおり、幸か不幸か)2ではなく1の状態にあります。ジョン・R・サールの翻訳、それに(内容はまだ明らかにできませんが)新しい著作の準備に七転八倒中でありまして、そのせいで拙ブログは若干「看板に偽りあり」の状態になってしまっております。このご不便については、ブログ外での仕事――書籍、雑誌、メールマガジンなど――において埋め合わせたく存じます。

ブログ外での仕事を公表する際には拙ブログにて必ずご報告しますので、どちらにせよ――哲学にかんする記事の多寡にかかわらず、どちらにせよ――どうかお見捨てにならず、拙ブログを絶えず(毎日、毎時、毎分、毎秒)チェックしていただきたく存じます。

これに懲りず、今後ともどうぞよろしくお願いいたします。