哲劇メモ

吉川浩満(@哲学の劇場)の日々の泡

セパレータ問題


ほんとどーでもいいことですが。

id:june_tさんがずっとフェイスマークと思っていらっしゃったという拙ブログにおける「*-*」。

june_t 『ここのところずっと気になっていたのが「*-*」でした。
フェイスマークかと思ったのですが、さっきRSS見てわかりました。セパレータ(っていうのか)ですね。
なんだかずっと「(*_*)」なふうに見えていたのです。』
clinamen 『そうそう、よく小説などで節の区切りに使う「*」のような感覚で用いておりました。それ以上の意味はないです。「*」だけじゃちょっと寂しいような気がして……。たしかに顔文字のようにみえますね。(後略)』
http://d.hatena.ne.jp/clinamen/20050720/p1#c

上記のとおり、よく小説で節などの区切り目に使う「*」のような感覚で用いていたんだけど、たしかにフェイスマークにも見える。ほかになにかいいのがないかなぁ。ちなみにアレ、正式にはなんて呼ぶのだろう。とりあえずここでは、june_tさんにならって「セパレータ」と呼んでおこう。ふつうは節の名前とか番号が入ることが多いだろうから、あんまり使わないとは思うんだけど。

下のように「*」を使ってみたこともあります。

 *

でもちょっと寂しい気がして「*-*」にしたのでした。全角にすると下のようになります。

 *

自作のマのアイコン(通称マイコン)を使うとこうなります。

 

ちなみに、ぼくがこれまでに出会ったセパレータのなかでいちばんの衝撃を与えたものは、あの福田和子氏(殺人罪=松山ホステス殺人事件で全国指名手配されながら逃亡をつづけ、15年の時効寸前の1997年に逮捕された)によるもの。彼女の半生伝『涙の谷』(扶桑社)の扉には、彼女が獄中で書いたと思われる原稿用紙の草稿写真が印刷されているんだけど、よく見ると、文章の区切りごとに超かわいい手描きのハートマークが挿入されている。本文を読んでみて――なかなかおもしろく読ませてもらった――、あのハートマークにすべてがあらわれているような気がして、なんとなくその意味もわかった気がしたが、とにかくじつに興味深かった。

涙の谷 (扶桑社文庫)

涙の谷 (扶桑社文庫)

そうだ、セパレータの話だった。も少し考えます。