哲劇メモ

吉川浩満(@哲学の劇場)の日々の泡

リング

中2の夏だったと思う。不良のNくんCくんと3人でバスフィッシングに出かけた。

バスフィッシングとは、ブラックバスという魚をルアーと呼ばれる疑似餌で釣ること。われわれはブラックバスを求め、しばしば隣県のY池までチャリンコを飛ばしたのである(詳しくは2005年2月16日の随想を参照)。

さて、Y池に到着したわれわれは、さっそく準備にとりかかった。そのとき後ろからガヤガヤと数人の話し声が聞こえてきた。草むらから出てきたのは、ちょうどわれわれと同じ年ごろの少年3人。知らない顔である。たぶん隣県の生徒なのだろう。

火花が散った。いわゆる「ガンの飛ばしあい」である。

計5人の視線が激しく交錯した。つまりわたし以外の視線が、である。わたしは残念ながら「ガンつけ」という伝統文化に不慣れであった(いまも不慣れだが)ので、思わずうつむいてしまったのである。

しかし幸いなことにそれ以上の揉め事は起こらず、両陣営はそれぞれ別のポイントで釣りをつづけた。

昼どきになり、われわれ3人は池ちかくのラーメン屋でラーメンをすすった。話の筋には関係ないが、たしか味噌ラーメンであった。鼻水が出て止まらなくなったことを覚えている。しかしいまはそのことはどうでもいい。その話はおこう。

午後の部である。歩きながら池に向かう途中、突然Cくんが提案した。

やるか?

なにをやるのか。決まっている。物理的暴力によって相手を排除するのである。

Nくんはうなずきながら、ポケットからなにやらとりだした。お守りでもとりだすのかと思ったら、ばかでかいドクロのリングであった。

持ってきた。

なんに使うのか。決まっている。指に装着したリングによって殴打の破壊力を増大させるのである。

わたしは残念ながら「タイマン張り」という伝統文化にも不慣れであった(いまも不慣れだが)ので、思わずうつむいてしまった。

NくんとCくんは、わたしにやさしく問いかけた。

吉川くんは、どう思う?

たいへん民主的な彼らであった。わたしは正直に言った。ちょっとやりたくない、と。場に流されるまま下手に賛成しようものなら、わたしの不慣れな文化的衝突によって、おたがいに大怪我をすることにもなりかねない。

そっか。じゃ、やめよっか。

彼らは少数派であるわたしの意見を採用してくれた。われわれは何事もなかったかのように、いや実際何事もなかったのが、ふたたび夕方いっぱいまで釣りをつづけた。ブラックバスは一匹も釣れなかった。

どうして急にこんな話をしたのかというと、急に思い出したからである。どうして急に思い出したのかというと、夕飯を食いながら「アニマル・プラネット」(ケーブルテレビの動物専門番組)を観たからである。どうして「アニマル・プラネット」を観て思い出したのかというと、番組に、犬の形をしたばかでかいリングをはめたイタリア人のおばちゃんが出ていたからである。

ともかく、いまでもわたしは彼らのことが好きである。中学を卒業して別れ別れになってしまった。交流がなくなってから、もう20年ちかくが経つ。

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