哲劇メモ

吉川浩満(@哲学の劇場)の日々の泡

『エピクロス哲学』

エピクロス哲学 (文庫クセジュ 291)

エピクロス哲学 (文庫クセジュ 291)

ただの要約ノート。

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序説


エピクロスの作品は断片的にしか残されていない。しかし、ディオゲネス・ラエルティオスがエピクロスの書簡などを保存していること、さらにエピクロス哲学としてほんとうに挙げられるのはエピクロスの名だけである(この点がストア哲学と異なる)ということが、彼の哲学を理解する困難を少しは減じてくれる。しかしその一方でエピクロスの哲学が長い間誤解と痛罵の的となったことも事実で、悪意ある解釈者による解説には警戒を要する。さて、残存するエピクロスのテクストとしては以下の4つがあり、そのすべてがディオゲネス・ラエルティオス『哲学者列伝』(下巻、加来彰俊訳、岩波文庫)の第10巻に収録されている。

  • ヘロドトスあて書簡」
  • 「ピュトクレスあて書簡」
  • 「メノイケウスあて書簡」
  • 「主要学説」

第1部 ギリシャ思想とエピクロス哲学


エピクロス哲学(および同時代のストア哲学)は、アテナイの政治史・精神史のとくに混乱した時代に現れた。エピクロス哲学の哲学的企図を理解するためにはこの混乱の諸原因をつかむことが大切である。政治史的にはアテナイが覇権を失っており、アレクサンドロス大王の死によって武力闘争が相次いだ。精神史的には小ソクラテス派とソフィストたちによって正しさの尺度が失われた。「人間は万物の尺度である」という教説は、その帰結においては無尺度の懐疑主義の混乱に陥り、乱れた政治状況とともに人々を途方にくれさせたのである。このような状況下において混乱した良心に音信をもたらそうとつとめたのが、同時代のライヴァルたるエピクロス哲学とストア哲学であった。エピクロス哲学・ストア哲学のどちらも自然主義であり、「自然と一致して生きる」ことをモットーとするが、違いは以下の点に存する。

  • ストア哲学=神的な摂理の現れである時間の流れと調和して生きつつ、神そのものである自然に一致。自然と神は一であり、時間とは人間が服従すべき心的摂理。
  • エピクロス哲学=感覚の音信に信頼しつつ、自然と一致。自然は単なる事実であり、神々は人事には関わらない(だからストア哲学と違い、宿命の概念とは無縁)。自然とはそのなかで平安を見出すべき根源的な存在にすぎない。

両者とも、賢者の態度として「アタラクシア」(煩いのないこと)を用いる。が、ストア哲学においてそれは論理学と倫理学に結びつき、この二学問は神と諸々の物事がいかに相互に結びつけられているのかを示す。しかしエピクロス哲学においてアタラクシアは、神々や神秘的な力なしに世界の一切が説明されるという考えだけから生まれる。人間は自然現象にたいする恐怖を取り除いたときに、また自然学的説明がつねに可能であると知るときに、心の平安を知るのである。さて、エピクロスは、哲学に以下の3部門を区別する。基準論と自然学は、倫理学を準備することだけを目的とする。それはわれわれが謬見から自由になり、平安と均衡からなる生を享受するための根本となる。

  • 基準論=学の基礎。真偽の判定の手段を教える。
  • 自然学=事物の生成、消滅、また本性を扱う。
  • 倫理学=幸福な生を送るための指針を与える。

第2部 エピクロスと庭園学派


エピクロスは紀元前341年、ある伝承ではアテナイで、他の伝承ではサモス島で生まれた。実家は貧しかった。父は家庭教師をしていたが、当時これはあまりかんばしい職業ではなかった。初等教育を終えた後、14歳から18歳までプラトン派のパンピロスの教えを受けた。その後アテナイに赴くが、アテナイアレクサンドロス大王の死によって物情騒然たる状況となり、一家は小アジアのコロポンに移住する。エピクロスロードス島でペリパトス派のプラクシパネスに学び、テオス島のデモクリトスの門下ナウシパネスの学生となる。こうして、プラトン派、アリストテレス派、原子論者の教えを受けたのちはしばらくコロポンに引きこもり、自らの哲学をはぐくんだ。紀元前311年頃、レスボス島のミュティレネに学派を創設したが、ここで彼は哲学者や住民の敵意にであう。そこで紀元前310年にミュティレネからランプサコスに移って学校を設立、ここで多くの弟子たちを集めた。そして紀元前306年、ついに彼はアテナイに戻り、ある庭園を買い入れて学舎を設立する。エピクロス学徒に「庭園の哲学者」の名が与えられたのはこれによる。ほぼ35歳のときである。アテナイ市民、婦人、遊女、奴隷などさまざまな人々によって構成されたこのグループは、学者ふうの弁証的な論議よりも平静と平安を旨として質素で友愛にあふれた生活を送った。この点、論議に熱中する多数の聴衆を前にして哲学を説くストア派(柱廊学派)とはおもむきが違う。彼らはエピクロスを模範と仰ぎ感服しながら共同生活を送った。彼は終生アテナイにとどまった。紀元前270年に71歳をもって死ぬが、病気による激痛に苦しめられながらも晴朗と平静と好意のおももちを変えなかった。彼の死から紀元前44年のユリウス・カエサルの死にいたるまで、14人の学頭があいついだ。この学派がさまざまな成果をあげたのはこのためであるが、他方でストア学派による攻撃もエピクロス哲学に注目を向けさせる要素ともなった。

エピクロス哲学は誕生以来たくさんの誤解や中傷の的となった。「エピクロスの豚」(「放蕩者」の意)といったつくり話もあった。パンと水で満足し禁欲主義に近い質素な生活をした人に、どうしてこのような悪意に満ちた伝説がまとわりついたのだろうか。おそらくそれは、エピクロス哲学が西洋最初の完全なヒューマニズムを創始すべき試みであったことによるのであろう。エピクロス無神論者ではなかったが、神々は人事にはまったく関わらないとした。エピクロスは神々の保証なしで、感覚をもって真の認識と善の尺度とした人であった。当時にあっては、知恵を定義するのに神々なしですまそうとする人間は、野獣に近い低位の人間だとみなされたのである。

第3部 エピクロスの哲学

第1章 基準論

基準論は学の基礎であり、真偽の判定の手段を教える。この基準論は、プラトンの対話法(弁証法)、アリストテレスストア派の論理学とはまったく違っている。エピクロスにとっては自然の実在性だけが重要であり、霊魂の独立性や概念の操作などには関心がなかった。そして感覚は実在の偉大な伝達者であり、われわれを存在者に結びつけるものである。だから基準論は、概念の理論でも論議の方法でもなくて、実在へのひとつの接近方法といえる。基準論によれば、真理には3つの標識が存在する。感覚、先取観念、情動である。

感覚

感覚は所与そのものである。感覚は非理性的であるが、これは感覚が把握不可能だとか不条理だというのではなく、単に感覚が思考に先立つということを意味している。思考が感覚を説明するのではなく、感覚が思考を説明しなければならない。錯覚や勘違いを例にとって感覚の不完全性を主張することは見当違いである。なぜなら感覚が誤ることは絶対にないからだ。誤るのは感覚ではなく、われわれが感覚に付け加える臆見なのである。

先取観念

先取観念とは、先立つ多数の同じような経験が呼び起こされることによって生まれる普遍的な図式である。もしくは、時間すなわち「偶発性の偶発性」にそってわれわれの持続性を確保するものである。先取観念なしには、牛を見てもそれが牛だと判断することすらできない。しかしそれはイデアのような先験的な観念ではない。それはあくまでも感覚から生まれてくるものであり、感覚によって確証されなければならない。ここで先取観念たいして確証と逆証、そして無逆証という真偽の判定が現前の感覚から生まれる。確証とは憶測されたものが明証性をもって肯定されることであり、逆証はその逆である。無逆証とは、憶測されたものが明証性ある現れと矛盾しないことである。たとえば空虚(ケノン)の存在は、運動という明証的な事実によって信じうる、という具合に。だから確証と無逆証はなにものかが真であることの標識であり、無確証と逆証は偽であることの標識である。ここから、明証性こそ一切の真偽の判定の基礎だということができる。

情動

情動には快と苦のふたつがある。快はその生命体の本性に合致し、苦はその本性にふさわしくない。だから快楽が幸福な生活の始めであり終わりである。これは感覚を真理の規範とすることの帰結である。

精神の表象的な直覚的把握

感覚、先取観念、情動に加え、ディオゲネス・ラエルティオスは精神の表象的な直覚的把握をそれに加える。これはエピクロス哲学のもっとも難解な点のひとつであるが、とりあえずそれは、感覚と感覚にもとづく諸観念の連合との無逆証によってわれわれが到達しうる結論のことだといえる。たとえば落下する物体の概念は、無限の原子が運動する場としての世界についての直覚的表象を与える、という具合に。感官の直覚を超えて原子の普遍的なメカニズムをまのあたりに見せるものが精神の直覚的表象である。それは感覚の明証性とは別種の明証性であるが、それと同じように直接的であり明証的である。

第2章 自然学

従来のギリシア的自然観と違い、エピクロスにとっての自然は超自然的な存在による説明をまったく必要としない。この自然学の大原則は「あらぬものからはなにものも生じない」である。全宇宙は諸物体(原子)と場所(空虚)からなる。この世界を構成する原子の数は無限であり、空虚のひろがりには限界がない。ここから、われわれの世界と同じかあるいは異なる無数の世界が存在することが必然となる。注意したいのは、この自然学はアタラクシアに到達するための王道にすぎないということである。この点、自らの説明を唯一正しい説明とみなす科学とは異なる。エピクロスは科学を科学それ自身のために研究することはない。どんな仕方にせよ唯一の説明に傾くことは、神話による説明と同じことなのである。

原子

物体には合成体と合成体をつくる要素がある。原子はもちろん合成体をつくる要素であり、分割不可能な実体である。それは立体で充実しており、いかなる空虚や間隙も含まない。またいかなる変化もこうむらない(変化するのは原子ではなく、原子によって構成された合成体である)。原子の特性は大きさ、形状、重さの3つになる。どんな大きさでもありうるというわけではないが、それぞれの原子の大きさにはさまざまな差異がある。形状の数は数え上げることはできないが有限である。運動は3つの要因によって決定される。1つめは重さであり、原子の垂直落下運動の原因である。2つめは衝撃であり、これは原子の運動の方向を変える。なお、原子の運動の速さはその重さにかかわらず一定である。原子の速さは思考と同じくらい速い。そして3つめが偏倚(クリナメン)である。それは落下線外に原子をそれさせる原子の自発運動である。この自発運動は意識的な熟慮を含むものではなく、一種の機械的な自由である。偏倚は、人間が自由であることの可能性を宇宙論的に説明する。これは自然の根本元素の段階における反決定論によって自由意志を弁護するのである。

空間

空間は場所、ひろがり、空虚、間隙とも呼ばれ、触れることのできない実在である。空間は原子の永久運動にとって必要である。充実した世界においては物体の運動する余地がなく、運動そのものが不可能になるからである。空間はそのひろがりにおいて無限である

合成体

原子の集合。合成体は原子を失うことがあるが、また獲得することもある。合成体の性質はその原子の組み合わされ具合によって決まる。

性質

原子は性質をもつとはいえない。ある性質をもつといえるのは合成体についてだけである。ここでエピクロスデモクリトスと対立する。デモクリトスにおいては性質はわれわれの感覚に依存するが、エピクロスにおいては性質は主観の経験とは独立に物体に属する。われわれが知覚するものはもののなかにあるのである。これらの性質は本属性あるいは偶発性でありうる。本属性とは恒常的に物体に属している性質(形態、色、大きさなど)、偶発性とは一時的に物体に属しうる性質(奴隷状態と自由、戦争と平和など)である。

時間

時間は「偶発性の偶発性」と呼ばれる。時間は夜と昼、運動と静止などにともなう。夜と昼、運動と静止は事物にともなう偶発性だから、これらにともなう時間は「偶発性の偶発性」なのである。ところで、時間はそのものとしては存在しない。なぜなら時間は常に運動と静止といった偶発性にともなっているからである。だから空間とは違い、時間は世界の構造の一部とはならない。ここはストア派と根本的に異なる点である。ストア派にとって時間は世界の生命であり、人間は神的な摂理の現われとしての時間、つまり運命に従うことによってアタラクシアに達する。一方、エピクロスにとって時間は賢者がその外へずれることにできるものであり、そこから脱することのできるものである。世界の時間は賢者には影響しない。

宇宙生成論

無数の世界が存在する。これらさまざまな世界のあいだに、新しい世界を創造し、また神々の住む中間世界が存在する。ひとつの世界が誕生するのは、他の世界の内部あるいは中間世界のなかから空虚へむけて適当な種類の種子が流入するときである。

霊魂論

霊魂は物質的で可死的である。これはプラトンアリストテレスの霊魂論と真っ向から対立する点だ。霊魂は原子から構成されているが、原子自体は感覚をもたない。われわれのなかにある感覚と意識は、原子相互の結びつき方から生まれる。だから感覚は、非感覚的原子の集合において現れる偶発性だといえる。ところで感覚はけっきょくは触覚に帰着する。味覚も聴覚も臭覚も視覚も、われわれの外部にあるものとの接触、つまり触覚のヴァリエーションである。この感覚説が意味することは、人間が周囲のものと密接に接触している存在だということである。思考もまた感覚から生まれる。感覚なき原子の結合から感覚が生まれるのと同様、思考は直接的な諸感覚の累積や結合から生まれる一種の副次現象である。思考は間接的な感覚だということができる。また、霊魂のなかに意志という内的な力が生まれるのは、原子がその落下線から自発的に逸れるという特性のためである。以上のことからわかるように、霊魂は不死ではない。霊魂は原子から構成されているわけだから、人間の組織体の全体が分解されてしまうと霧散してしまうのである。これが死である。だが死は、われわれにとってなにものでもない。善いものと悪いものはすべて感覚に属するが、死とは感覚の欠如だからである。だから死は、たんなる生理学的な事実、利害をともなわないたんなる出来事であり、われわれにとって徹底的に外在的な出来事である。死をいたずらに恐れたり望んだりすることをやめることはアタラクシアへの第一歩である。

神々

エピクロスは原子論者だが、無神論者ではない。彼が拒否するのは神々そのものではなく、神々を主題にした説話なのである。もっとも危険なのは、世界の創造と時間の展開における役割を神々に帰する考えである。世界は原子の結合から生じたものであって、神々は断じて世界の建築家などではない。一切の事物は偶然の産物なのである。神々はまったくの至福を知っており、完全な幸福のうちに生を送っているから、人事にはまったく関心をもたない。人間と神々とはまったく無関係に存在している。エピクロスが神々をたたえるのは、そこに賢者が達しうる幸福のモデルをみるからである。アタラクシアは、賢者を人間のなかの真の神にするであろう。

第3章 倫理学

基準論は真の実在に近づくための道を示し、自然学は死と神々への恐怖からわれわれを解放しようとした。倫理学は知恵の王道をわれわれに示そうとする。晴朗な孤独のうちに、自ら足るを知る可能性を賢者に与える快楽主義の道である。

快楽

感覚は真なるものの規範であるが、倫理学において感覚は善なるものの規範となる。認識の局面における感覚説が倫理学の局面においては快楽説を生む。快楽を出発点として一切の選択と忌避を行うわれわれの生の規範は、身体の苦痛と心(霊魂)のわずらいを逃れることである。ところで快楽は、苦痛がないということに帰着する消極的な状態にはとどまらない。快楽には積極的な面が存する。つまり快楽をえることは自然が提供するものへの直接的な関与なのである。彼の教説の黄金律が「自然と一致して生きる」ことであれば、このことは容易に理解できよう。

欲望の階層

エピクロスは快楽のなかに区別をたて、そして欲望の段階づけをした。

  • 自然的で必然的な欲望
  • 自然的ではあるが必然的ではない欲望
  • 自然的でも必然的でもない欲望

まず自然的で必然的な欲望。質素な食事や渇きをいやす飲み物などである。このような質素でわずかなもので満足する生き方は賢者の生き方である。ここにわれわれはエピクロスの禁欲主義を見出す。このように自然と合致していきる人はつねに豊かであり、臆見に従う人はつねに貧しい。こういう自然との合致は容易である。自然はこれらの必然的な財をわれわれの手の届くところに置くからであり、われわれはこのような親切を自然に向かって感謝すべきである。つぎに自然的ではあるが必然的ではない欲望。上等な食事や珍しい飲み物などである。これらは目先を変えたいという気持ちから生まれる。飲食の欲望は自然的だが、上等な食事や珍しい飲み物を求めることは必然的ではないからである。最後に自然的でも必然的でもない欲望。世界を征服しようと望むことなど。これは空虚な臆見から生ずる欲望であり、無分別のしるしである。無分別な人間は自ら所有していないもののために苦しむ。思慮の仕事は、このような欲望をしずめることにある。以上3つの欲望の区別のうちもっとも望ましいのは自然的で必然的な欲望であり、その欲望を満たすことで満足することが賢者への道である。エピクロスが求めるのは、直接的なものや原初的なもの、つまり臆見や無分別な野心から人間をそらせるもののもつ意味を人間に与え直すことなのである。

「賢者」と自由

基準論、自然論、倫理学によってわれわれは4つの薬を与えられた。「神は恐れる必要がなく、死はなにものでもなく、善は手に入れやすく、苦しみは容易に耐えられる」という教説である。哲学は、医学が肉体の病いから人間を解放するように、霊魂の病いから人間を解放すべきである。そのように霊魂の病いから解放された賢者は自由な存在である。彼はすべての必然性の観念から自らを解放する。他人から自らを解放し、主人がなく、完全な自足を知っている。必然性はエピクロスにとってはまったく考えられないものである。迷信的な考えからわれわれを解放し、神秘的なあらゆる超越性からわれわれが独立しているのだという確信を与えること、これが偏倚(クリナメン)の概念の重要な役割である。事物から解放された人間はまた人間からも解放されている。エピクロスが「かくれて生きよ」と言ったのは、彼が人間嫌いだったからではなく、彼が政治嫌いだったからだ。賢者は賢者にしか理解されないからかくれて生きなければならないが、その孤独を友人と共にすることは楽しい。友愛は最大の幸福だからである。賢者は自然と一致して生き、自足を有する。このような信念の表明は断じてエゴイストのそれではない。そうではなく、たんに他人がそこで滅びていく気の違った狂騒のなかへ引きずり込まれることを拒否する人間のそれなのである。エピクロスは人間の頽廃と集団ヒステリーのさまざまな形態を深く思考したからこそ、直接的なものや自然な明証性に従うことを唱えた。彼は、人間は自らの滅亡を自らつくりだすものであるのだから、自らの宿命の主人となることができなければならないということを示そうとしたのである。