哲劇メモ

吉川浩満(@哲学の劇場)の日々の泡

マラブー女史来日(2)


毎度おしかけるのもいかがなものかと思いつつ出かけてきた。

  • 「哲学の使命」――東京日仏学院ラウンド・テーブル
    @東京日仏学院エスパス・イマージュ/同時通訳付き/入場無料
カトリーヌ・マラブー
藤本一勇
西山雄二(司会)
何故、どのようにして哲学者になるのか。哲学を教えたり、伝えたり、哲学に生きる力を与えたり、さらには他の哲学者のものを訳したりというようなことをさせるのはどのような動機や欲求なのだろうか。大学、知的伝統も全く異なる経歴を持ち、ジャック・デリダの仕事に深い親しみを共有する二人の思想家がこうした問題に答える。
http://institut.jp/culture/conference_j.html#0707

(いまは書けないのでレポートは後日。)

  • ※いつ書けるかわかりませんが、日が経ったとしても7月7日付のこの記事に書き足します。ちがう日付の記事として投稿するのが気持ちわるいので。気になる人(がいるのかどうか知りませんが)はブックマークするなり可塑性を利用して記憶するなりしておいていただきたく思います。

◇哲劇メモ > [イベント][脳科学][哲学][メモ] マラブー女史来日(1)
http://d.hatena.ne.jp/clinamen/20050705/p1

可塑性のヘーゲル

ヘーゲルの未来―可塑性・時間性・弁証法

ヘーゲルの未来―可塑性・時間性・弁証法

ジャック・デリダの指導のもとで書かれた彼女の国家博士論文(提出されたのは1994年、出版されたのは1996年)。かなりの難物だが、巻末に収められた訳者の西山雄二氏の解説「カトリーヌ・マラブーが塑造する可塑性の未来のために」は非常に有益。


【目次】

日本語版への序文
謝辞
はしがき

序論

I 問題設定
   A)ヘーゲル哲学は「過去のもの」なのだろうか?
   B)可塑性の約束
II 可塑性の試練にかけられるヘーゲル哲学
   A)可塑性という概念の通常の意味
   B)ヘーゲルによる可塑性の思想
   C)弁証法と「予見=不測」
III ヘーゲルの二つの時間
   A)論理的区別化
   B)時系列(クロノロジー)的区別化
   C)思弁的論述と超越論的論述
IV 『精神哲学』の読解

第一部 ヘーゲルの人間、第二の自然の加工方法

序言
I 「人間学」の薄明
II 習慣のステータス
   A)実体-主体のギリシア的契機
   B)習慣、否定的なものの二重化の特殊様態
   C)可塑性
III道程

第一章 「人間学」通釈
I 「自然的な魂」、元素的な同等性という概念の契機
   A)「普遍的な魂」
   B)「自然的質」の特殊性
   C)個体的主体の個別性
   D)「直接的判断」あるいは「自然的変化」
II 「感覚」、「感情」、「自己感情」――判断の契機あるいは個別性の危機的試練
   A)感覚
   B)「感じる魂」
   C)直接性における「自己感情」――精神錯乱
III 習慣と〈自己〉の推論

第二章 ヌースの可塑性について――ヘーゲルによる『霊魂論』読解
I ヘーゲルによるヌース理解
   A)知性とその「存在様態」
   B)ヘーゲルの「誤解」
II 『霊魂論』第二巻――感覚
   A)論証手続きの呈示
   B)範例――習慣(ヘクシス)と人間(アントローポス)
III 『霊魂論』第三巻――思惟作用
   A)ヌースと否定性
   B)習慣と時間性
IV 結論

第三章 習慣と有機的な生物
I 習慣づけられた生命のさまざまな場
II 収縮とハビトゥス
III 収縮と「理論」
IV 変化の保存とエネルギーの反転可能性
V 動物的習慣と蓋然性なきその限界

第四章 問われる人間の固有性――可塑的個体
I 「内的なもの」と「外的なもの」――記号の自然的エコノミー
II 「魂の芸術作品」と意味のモンタージュ
   A)習慣と思考
   B)習慣と意志
III 偶有性の本質的生成
   A)可塑的個体性
   B)習慣の存在論的意義
結論

第二部 ヘーゲルの神、二重の本性の転回

序言
I 主体および主題とみなされた神
   A)歴史哲学的視点
   B)『エンチュクロペディー』の宗教的契機の特殊性
II 思弁的神学の批判
   A)束縛された神
   B)未来なき神
   C)存在-神学の成就
III 受動性から神の可塑性へ
IV 道程

第一章 「啓示された宗教」通釈
I 宗教の「概念」
   A)自己啓示
   B)表象の「諸領域」
II 純粋思惟の境位にある三位一体
III 被造物の例外的立場 世界と悪
IV 和解 〈啓示〉の三つの推論
   A)第一の〈啓示〉の推論
   B)第二の〈啓示〉の推論
   C)第三の〈啓示〉の推論
V 結論 祭祀における信仰から思惟へ

第二章 超越性なき神? ヘーゲルに抗する神学者たち
I 〈父〉の思弁的没落
   A)無化(ケノーシス)についてのヘーゲル的理解
   B)ヘーゲルの三位一体概念
II ヘーゲルによる信仰あるいは「概念的食欲」
   A)過激なルター主義?
   B)カール・バルトの応答
III 表象の運命 宗教の未来としての哲学的合理性
IV 不可能な未来

第三章 神の死と哲学の死――疎外化の二重の運命
I 「神自身が死んだ」――神という出来事
   A)『信仰と知』
   B)『精神現象学
   C)『宗教哲学講義』
II 「神自身が死んだ」「主体性の形而上学」の到来
   A)知と信仰の対立の新しい意味
   B)プロテスタンティズムの「苦痛の詩」としての哲学
   C)哲学の「空虚」
III 神の疎外化と近代的主体の疎外化の統一性
   A)表象
   B)神の可塑性に向けて

第四章 神の可塑性、あるいは出来事の転回
I 神の可塑性とは何か
   A)概念の正当性
   B)可塑性の助けを求める造形芸術 偶有性の本質的生成
II 啓示された時間
   A)「生命過程」
   B)有限性
   C)現象と世界
III 結論 神学と哲学の思弁的連関

結論
I 神と超越論的想像力
II ハイデガーによる時間の止揚(アウフヘーブンク)の読解
III 古代ギリシアと近代の十字架にかけられた神

第三部 ヘーゲルの哲学者、落下の二つの方法

序言
I 絶対知と形の贈与
II 述語的なものから思弁的なものへの移行
III 道程

第一章 「哲学」通釈
I 哲学という概念 再び見出された境位
II 哲学の判断 思弁的な形式と内容――芸術、宗教、哲学
III 哲学的推論――反省された後の自然
   A)第一の推論:論理、自然、精神――実習期間
   B)第二の推論:自然、精神、論理――学の出現
   C)第三の推論:精神、論理、自然――理念の離脱

第二章 弁証法的単純化
I 止揚(アウフヘーブンク)の可塑的取扱いのために
   A)力の一撃と悪無限のあいだの絶対知
   B)複数の保存と複数の抹消
   C)止揚(アウフヘーブンク)の過去と未来
II 単純化とその諸傾向
   A)概念的短縮
   B)切れ味の鈍い意味の尖端
   C)「梗概化された」加速作用
   D)要約された形式の諸様態
III 単純化は習慣的であると同時に無化的である
IV 結論 精神の滞留としての〈体系〉

第三章 「自発的に」
I 「〈自己〉の離脱」
   A)「哲学」の第三の推論への回帰
   B)止揚(アウフヘーブンク)と放棄
   C)「私」を欠いた総合
II 原因について
   A)〈自己〉とその自動運動
   B)偶然、必然、自由
   C)本質と偶有性の連関
III 結論 エネルギーの解放

第四章 哲学者と読者、思弁的命題
I (ヘーゲルとともに)ヘーゲルを読むことはできるのか
   A)思弁的解釈学のために
   B)いくつかの反論
   C)ヘーゲルの応答
II 言語と哲学――固有言語の空間と時間
III 思弁的命題
   A)述語への傾斜
   B)欠如した総合
   C)読解との関係における述語的なものから思弁的なものへの移行

結論
I 読解という出来事
   A)「私」、読者
   B)二つの威力
   C)構成と再構成
II ヘーゲルハイデガーを読む
III 予見=不測


参考文献
訳者あとがき カトリーヌ・マラブーが塑造する可塑性の未来のために
索引

◇未來社 - 書籍詳細
http://db1.dcube.co.jp/miraisha/search/fmpro?-db=miraisha_db.fmj&-lay=cgi&-format=detail.html&ISBN=4-624-01170-8&-max=1&-token=33758&-Find

サパティスタ


サパティスタサパティスタ民族解放軍/Ejército Zapatista de Liberación Nacional/EZLN)とは、メキシコ政府にたいして抵抗運動――独立、自由、民主、平和、仕事、土地、住居、食糧、健康、教育を求めて――を展開する先住民組織。1994年1月1日、北米自由貿易協定NAFTA)の発効と同時に、メキシコ南部チアパス州で武装蜂起した。

  • 山本純一「「サパティスタ」を読む――抵抗する「主体」の物語り:経験の共有、共同性の構築はどこまで可能か?」、『図書新聞』2005年7月9日号(no.2733)、図書新聞

武装蜂起から11年余。サパティスタの活動とマルコス副司令官の発言にたいして関心をもってきただけに、今回の特集は非常にありがたい。サパティスタとはなにか、「インディオ」の状況、たちはだかる困難にかんする解説と現状分析ののち、最後に「物語りきれぬものは物語り続ける」(©野家啓一)試みへの期待が語られる。

サパティスタの夢 インディアス群書(5)

サパティスタの夢 インディアス群書(5)

老アントニオのお話―サパティスタと叛乱する先住民族の伝承

老アントニオのお話―サパティスタと叛乱する先住民族の伝承

メキシコ先住民女性の夜明け

メキシコ先住民女性の夜明け

ラカンドン密林のドン・ドゥリート―カブト虫が語るサパティスタの寓話

ラカンドン密林のドン・ドゥリート―カブト虫が語るサパティスタの寓話

物語の哲学 (岩波現代文庫)

物語の哲学 (岩波現代文庫)

◇山本純一研究会 - 慶應義塾大学
http://web.sfc.keio.ac.jp/~llamame/

◇メキシコ先住民運動連帯関西グループ
http://homepage2.nifty.com/Zapatista-Kansai/

◇山崎カヲル > サパティスタ民族解放軍のために
http://clinamen.ff.tku.ac.jp/EZLN/

◇EZLN - ¡YA BASTA! (ezln.org) - 情報豊富(非公式サイト)。
http://www.ezln.org/

図書新聞 - (なにもありません)
http://www.toshoshinbun.co.jp/

女王


郵便局にいった帰りに、女王Sさんとばったり。かつては前髪女王であったSさんも、ずいぶんと前髪を伸ばされて、いまはふつうの女王になっていた。久しぶりだったので、その場で思わずものすごい勢いで立ち話。女王と愉快な仲間たちの近況、女王のアイドル化問題、どのブログを選べばよいかなどについてひとしきり。

◇哲劇メモ > ばったり
http://d.hatena.ne.jp/clinamen/searchdiary?word=%2a%5b%a4%d0%a4%c3%a4%bf%a4%ea%5d

a letter from narita


朝、なにやら大きな封筒が届いた。
見ると、先日著書を刊行した湯川カナ氏からのものであった。

彼女らしい、ずいぶんとおおざっぱな「お手紙」である。
「from 成田 Airport」とある。そうか、スペインに帰るのか。

中身を開けてみておどろいた。

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ハーレーダビッドソン製・犬用首輪


ハーレーダビッドソン製・犬用キャップ

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友よありがとう。

ベイベー ピースマークを送るぜ

Cawaii!!系の愛しのマにこれらのワイルドなアクセサリーが似合うかどうかはわからないけれど、こんど(無理やり)装着して写真を送ります。

◇哲劇メモ > [本][新刊][サッカー] スペイン、情熱、サッカーボール
http://d.hatena.ne.jp/clinamen/20050608/p3

情熱とサッカーボールを抱きしめて (Book of dreams)

情熱とサッカーボールを抱きしめて (Book of dreams)

追記(20050710)

マに首輪を(無理やり)装着してみました。

真っ黒で(あいかわらず)なにがなんだかよくわからん。

◇哲劇メモ > マ
http://d.hatena.ne.jp/clinamen/searchdiary?word=%2a%5b%a5%de%5d

テキストリンクのスタイルシート


ほとんどどうでもよいことですが。

テキストリンクの装飾にずっと頭を悩ませていました(というか悩むほどたいしたことではないし実際べつに悩んでもいなかったのですが、まぁ気がかりだったという気持ちを表出するために上記のように表現してみた次第です)。

多くの場合、リンクになっているテキストは青色になって下線がついていたりしますね。スタイルシートの普及によって以前ほど一般的ではなくなりましたが。

これまで拙ブログでは、「筆者が意図的につけたリンク」と「はてなキーワードへの自動リンク」との見分けがつかなかったと思います(Internet Explorerの場合。Netscape Navigatorでは見分けがつくようにつくっていたのですが)。おもに美的観点からそのようにしてきたのですが(煩雑になるのがいやだし)、このたび、二種類のテキストリンクの見分けがつくようにしてみました。

今回のスタイルシート変更で、二種類のテキストリンクが以下のように見分けられるようになりました。

たとえば、こんな風になります。クリックしてみてください(暇があれば)。

なんでこんなささいな変更をしたのか、さらに、なんでこんなささいな変更をわざわざアナウンスするのかというと、これまで、拙記事のなかで(筆者の主観的には)なかなかのネタにリンクをはったつもりでも、それがはてなキーワードへのリンクと見え方がまったく同じであるために、しばしば(きわめてしばしば)気づかれずに素通りされてしまった(らしい。いや、らしいどころか、どうもそのように思えてしかたがない)という苦い経験があったからです。

結局のところ、筆者の自己満足のための措置といえます。しかし、ひょっとしたらあなたはこれまで数々の極上(かもしれない)ネタへのリンクに気づくことなく通り過ぎてしまっていたかもしれない。そう考えてみれば、なにかこう、いったいなにを損したのかよくわからないけれども、なにか重大な損をしてきたような気になりませんか。だから、これはあながち筆者のためだけでなく、あなたのための変更でもあるかもしれません。

今後とも、あなたの喜び(と落胆)のためにせっせと記事をつくっていく所存でございます。どうぞよろしくお願いいたします。