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哲劇メモ

吉川浩満(@哲学の劇場)の日々の泡

北田暁大さんと対談@朝日カルチャーセンター新宿教室

理不尽な進化 イベント 仕事

以下のとおり、社会学者で東京大学准教授の北田暁大さんと対談します。
日時は2015年5月9日(土)18時30分〜20時、場所は朝日カルチャーセンター新宿教室。受講料は会員3,456円、一般4,104円(税込)。

詳細と申し込み→ https://www.asahiculture.jp/shinjuku/course/b73f060d-aec9-6db3-4970-54f7f9f4bfb9

北田さんが非常に興味深いトピックを用意してくださいます(私も楽しみです)。みなさまお誘い合わせのうえ、ご参加ください。

 社会ダーウィニズムと呼ばれる社会理論は1940年代ぐらいまでには消え去り、また同じ時期までには、ナチによる優生学の推進とその悲劇から、英語圏で「優生学」という言葉も(いったんは)使われなくなる。社会進化論と遺伝学、優生学との結びつきは、アカデミズムの内外を問わず20世紀初頭のアメリカを席巻し、一度は解体を余儀なくされた。しかし、「社会と遺伝」を結びつける思考は、二次大戦後も名称を変え残り続け、IQをめぐる論争から社会生物学論争、遺伝子組み換えの是非、遺伝子診断に至るまで、私たちの社会を覆い続けている。先進福祉国家スウェーデンにおいて70年代に至るまで「断種法」が実効の状態にあったとの衝撃のニュースが報じられたのは、つい先ごろ90年代末である。私たちの社会は、「優生学」に囚われつづけたままである。

 この「社会と遺伝」という問題への強迫と忌避とが、科学という領域を超えて沸き上がったのが、ウィルソン、ドーキンス、ルウォンティン、グールドらを主要登場人物とする社会生物学論争である。一般的にはこの論争は、「利己的な遺伝子」を上梓したドーキンスが、「断絶平衡説」を唱えたグールドに勝利したと考えられている。科学的な定式化の単純性、合理性、説明力において、社会生物学は勝利した。しかし、敗北したグールドらもまた進化論や遺伝そのものを否定していたわけではない。また単純に「政治的イデオロギー」が科学的判断を誤らせた、と言い切るのも難しい。吉川は『理不尽な進化』にて、この大論争をとりあげ、グールドを「科学」とは異なる「歴史」の視点から捉え返し、その問題意識の重要性を論じている。「イデオロギー」ゆえにではなく「学問観」の観点からグールドを救済したわけである。

 本講座では、そうした吉川のグールド論を承けつつ、「社会」と「遺伝」「進化」のかかわり方を、考察していくこととしたい。これは、「科学とはなにか」「進化の単位は何か」というコアな科学哲学的論点から、「遺伝の比喩の社会的影響」「なぜ私たちは「遺伝」に拘るのか」といった社会学的論点まで広がりを持つものである。社会生物学、進化論を社会学的に裁断するのではなく、その科学としてのあり方の条件を議論し、遺伝子にとりつかれた私たちの社会を捉え返す。(北田講師・記)


北田 暁大 (キタダ アキヒロ)
1971年生まれ。東京大学大学院人文社会系研究科博士課程退学後、東京大学助手、筑波大講師などを経て、現在は東京大学大学院情報学環准教授。博士〈社会情報学〉。専攻は理論社会学、メディア史。著書に『広告の誕生』『広告都市・東京』『責任と正義』『〈意味〉への抗い』『嗤う日本の「ナショナリズム」』『限界の思考』ほか。


吉川 浩満 (ヨシカワ ヒロミツ)
1972年3月、鳥取県米子市うまれ。慶應義塾大学総合政策学部卒業。国書刊行会、ヤフーを経て、文筆業。関心領域は哲学、卓球、犬猫鳥、ロック、映画、単車など。著述に『心脳問題──「脳の世紀」を生き抜く』(山本貴光との共著、朝日出版社)、『問題がモンダイなのだ』(山本との共著、ちくまプリマー新書)、翻訳に『マインド──心の哲学』(山本との共訳、ジョン・R・サール著、朝日出版社)など。

増補 広告都市・東京: その誕生と死 (ちくま学芸文庫)

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理不尽な進化: 遺伝子と運のあいだ

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