哲劇メモ

吉川浩満(@哲学の劇場)の日々の泡

ヨドバシカメラ讃


裏日本(*)の、しかも山陰に生まれ育ったわたしにとって、「トーキョー」や「ヨコハマヨコスカ」は「パリ」や「テキサス」と同じくまるで異国の地であった。

親類にひとりだけ、東京に暮らす人物がいた。伯父(*)である。いわゆる「金の卵」として汽車でガタゴト上京した伯父は、東京に安住の地を得、彼の地に完全に同化していた(「東京人」の典型か)。

そんな少年時代のわたしにとって、東京とはすなわち伯父の「東京弁」と「ヨドバシカメラ」であった。

まずは伯父の「ヒロちゃんそんなのヘーキだよぉ」というコトバ。軽薄なような軽やかなような、電話口から聞こえてくるその飄々とした東京弁はまぎれもなく異国からのそれであった。これがわたしにとっての東京の原像である(どんな原像かいな)。

そしてそして、ヨドバシカメラの紙袋。気前のよかった伯父は帰省するたびに必ずなにかしらわたしがよろこびそうなお土産をみつくろって買ってきてくれた――ラジコンカーやトランシーバーなど――のだが、なぜかそれらは決まってヨドバシカメラの紙袋に入っていた。いつだったか「卓球の国際試合用ボールがほしい」とねだったことがあったが(トランシーバーに比べるとずいぶんささやかなおねだりである)、その卓球ボールまでもがヨドバシカメラの紙袋に入っていた。

東京にはカメラだけのお店があるのかぁ。しかも(カメラ店なのに)卓球ボールまで売ってるのかぁ。

と、東京にたいする驚嘆がいや増したことはいうまでもない(*)。

  • (*)いまになって思うに、当然ながら卓球ボールなど売っていたはずはなかろう(いや当時は売ってたのかもしれないが)。単に伯父がヨドバシカメラの紙袋をたくさん持っていただけのことだと思われる。伯父は電子機器製造業に従事していたので、その手の部品を買うことが多かったのだろう。しかし、(繰り返すが)紙袋は必ず、ビックカメラでもなくさくらやでもなく、ヨドバシカメラのものであった。

ともかく、そんなこんなで、わたしにとっては家電量販店イクォールすなわちヨドバシカメラなのである。つねにすでにそしてあるいはヨドバシカメラなのである。

先だって新宿駅東口に新店舗がオープンしてから、またヨドバシカメラ熱が再燃してしまった。なにを買うでもなくブラブラする(もちろん卓球ボールは売っていない)。とくにいま、マルチメディア新宿東口店(1F)が楽しくてしかたがない。Mさんを筆頭に店員がすばらしい。いまのところ、新しくできたらしい秋葉原店には興味はない(打ち合わせにつかうのはもっぱら新宿東口だし)。

ちなみに、わたしはなにもヨドバシカメラの回し者なんかではまったくない(為念)。カネもらってるわけでなし(てかむしろ払ってるくらいである。くれるのなら謹んでいただくが)。上述のとおり伯父によってそのように刷り込まれてしまったというだけのことだ。場合によってはビックカメラであってもさくらやであってもよかったのだろう。

ただ、伯父がどうしてビックカメラでもなくさくらやでもなくヨドバシカメラに日参していた(であろう)かは、いまだに謎ではある。

(新宿東口のマンガ喫茶にて)

ヨドバシカメラ
http://www.yodobashi.com/

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