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哲劇メモ

吉川浩満(@哲学の劇場)の日々の泡

[新刊]我、拗ね者として生涯を閉ず

我、拗ね者として生涯を閉ず

我、拗ね者として生涯を閉ず

ジャーナリスト、本田靖春(1933-2004)。

わたしは彼のジャーナリスト活動のほんの一部をしか知らなかった。在日問題、日朝関係への関心から、たった2つの作品――金嬉老事件をあつかった『私戦』と、日本人がもつ朝鮮人への差別意識を問うた『私のなかの朝鮮人』――を読んだにすぎない。代表作とされる『誘拐』『村が消えた』『不当逮捕』『警察回り』も読んでいなかった。

先日、編集者のAさんとお会いしたときに本書をすすめられた。日本の献血制度の確立に多大な貢献をなした「『黄色い血』追放キャンペーン」(*)の仕事や、さまざまな驚くべきエピソードを教えられるうち、出版されたばかり(とはいえ5月だが)の本書を読んでみようと決めた。

  • (*)日本では1968年から輸血用の血液は献血のみによって供給されることになっている。それまでは献血売血の二本立てであった(実際には売血がほぼ100%)。そこで悪質な採血業者(買血業者)が暗躍することになり、山谷や釜ヶ崎のドヤ街を中心に「常習売血者」(ケツバイ)の群れが発生する。そして供血者貧血によって労働者がバタバタと倒れはじめる。たとえば本田が取材した売血常習者のひとりは月に24回の売血をしていた。彼は「多い奴では、五十本から抜いたんだぜ」と言う(200ccを50本=体内の血液が2回入れ替わる勘定)。それと同時に、血の送り手と受け手のあいだでウィルス感染による肝炎が大流行することにもなった。ちなみに当時業者の最大手であったのは日本ブラッドバンク(のちにミドリ十字と社名を変更。またミドリ十字)。

次の朝、書店に出向いて本書を手にとってみた。帯文には、こうある。

「これを書き終えるまでは死なない、死ねない」……だが、最終回を残して、心血を注いだ連載は絶筆となった。読売社会部エース記者として名を馳せ、独立後は『不当逮捕』『誘拐』などの名作を生んだ孤高のジャーナリストは、二〇〇四年十二月四日、この世を去った。(表)

両足切断、右眼失明、肝ガン、大腸ガン……病魔と闘いながら、「精神の自由」「人が人として誇り高く生きること」を希求し、現代人の心の荒廃を批判し続けた魂の叫びがここにある。(裏)

上記の帯文では、病と闘いながらの記者生活が強調されており、本文もそのような内容になるかと思わせる(*)。しかし、本文には辛気臭い「闘病記」がほとんどない。自ら「私は闘病と貧乏物語が嫌いである」と称した彼の本書を貫く関心は、あくまで記者としての活動であり、そのときに考えたことや行ったことにこそある。本書をすすめてくれたさいに酩酊したAさんが漏らした感想――「厄災を淡々と受け止め」「ここぞというときに怒る」――、彼の一貫した「位置」と「姿勢」(©石原吉郎)が思い出され、なおのこと畏敬の念を抱かざるをえなくなった。ときどき繰り出されるユーモアもじつにいい。

  • (*)実際、彼が肝がんを病んだのは「『黄色い血』追放キャンペーン」での取材が原因となった「労災」によるものだといわれている。彼は山谷に住み込んで自ら売血を行ったうえでその実態をレポートするのだが、慣例的に行われていた注射針の使いまわしによってC型肝炎に感染する。それが肝硬変、そして肝がんに進行することになった。

ふと隣の棚を見てみたら、なんとタイミングのよいことに、本書の紹介記事が『図書新聞』の一面を飾っていた。

  • 米田綱路「本田靖春著『我、拗ね者として生涯を閉ず』を読む――畢生の社会部記者は死んだ」、『図書新聞』2005年7月30日号、図書新聞

「社会部が社会部であった時代」とその終焉をつうじて、「由緒正しき貧乏人」として「能書きのない」記事を書きつづけた、ひとりの「社会部記者」。その生涯が強い愛惜の思いとともに語られている。

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