哲劇メモ

吉川浩満(@哲学の劇場)の日々の泡

第0回開催


スコブル愉快。所長(id:aquirax)を焚きつけて開催した甲斐があった。

「第0回」の今回は所長の明治小噺と、明治諸賢人の紹介など。次回(第1回)からは具体的にテキストを繙読しながら談話大会となる予定。

【第0回レジュメより(ごくごく一部)引用】

内田魯庵
内田魯庵とは何者なのか。「中途の人」、はたまた「踊り場の人」とでも申しましょうか。山口昌男翁が『内田魯庵山脈』(晶文社)において明治=昭和文化ネットワークの結節点としての魯庵を十全に描き切ったゆえ、もはや付言すべき事無し。ではあるがテキストの中の余滴のような部分にはいまだ言挙げして玩味すべき点多し。

清沢満之
血反吐を吐くような全身哲学系。まるで釈迦のようなある種の放下=転回の経験者。自身の真宗信仰の中に西洋哲学の論理的思考法を苦吟しながら移植したが、誰一人としてその格闘の本質を理解したものはいなかった。と思われる。明治のソクラテス

福地桜痴(源一郎)
頭が良すぎて何者にもなれなかった負け犬総代表。旧幕臣という意味では新政府に負け(一応東京府議会議長などといえらいんだかなんだかようわからん役職には就いたが)、器用貧乏すぎて明治という専門主義のモダニティに負け、二重に封じられた純粋知識人。

岡倉天心
「美術」という概念捏造のプロデューサーにして明治文化の大フィクサー。捏造とはまあ穏やかではないですが、「書画」という言葉しかなかった江戸の文化があったればこそ廃仏毀釈も成立したわけです。そこんとこよろしく。

西周
この人は敢えて言うなら「哲学」という語を発明した事によってのみ記憶されていますが、あの「軍人勅諭」を起草したことが彼に対する戦後史学の目を曇らせ、専らそれだけの人、になっちゃってます。文化史的には、津田真道とともに、サムライが西欧に留学したらどうなるかというなんだか猿の惑星みたいな、いわば人体実験の被験者として興味が尽きないわけです。「軍人勅諭」も、国民国家成立のための「個人」という単位を措定するツールの一環として読めばえらい面白い。彼もそう考えていたと思います。

成島柳北
維新後は自ら天地間無用之人を標榜。彼もまた洋式軍隊の騎兵奉行まで勤めた旧幕臣の負け犬ですが、福地のように遠吠えはしない。自己韜晦の延長線上の江戸文化への惑溺が、後世から見れば立派な文学と化しているという幸福な人。というと誰か思い出しませんか。そうです永井荷風ですねえ。要は荷風が柳北のエピゴーネンなわけです。となれば、文人のひとつの型を江戸から昭和に引き継いだ家系図が出来上がることになります。いまはどこに子孫がいるかなという話です。

中江兆民
賢人ということで括るなら、これ以上ない賢人中の賢人。賢人すぎて今更あれこれやる必要ないかも。ただし、自由民権運動の理論的指導者だの東洋のルソーだのといういわれなき看板を、テキストを読むことによってひっぺがし、その戯画的人生の苦さを味わう楽しみはあります。勝ち組(土佐藩出身)の中でドロップアウトし続けてゆく男の心情を忖度する、という角度。ちょっと野次馬的すぎますか。

次回のテキストは内田魯庵

今回メンバーに与えられた課題。

  • 「雑誌とか読んでるの?」と問われたら「明六雑誌」と答えてみる
  • 優秀だがあまりにイタい人を見つけたら「キミ福地系」と言ってみる
  • テキスト(内田魯庵)を読んでくる

◇武蔵野人文資源研究所日報
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