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哲劇メモ

吉川浩満(@哲学の劇場)の日々の泡

はじめてのツーリング


わたしがはじめてツーリングをしたのは前世紀末の199x年のこと。ここでツーリングとは、「単車で遠出をすること」という程度の意味。

単車を手に入れて間もないころ、一通のメールを受け取った。メールの主はAさんとしておこう。そこには簡単な自己紹介と、ツーリングをしませんかというお誘いが記されていた。

当時わたしが乗っていたのはカワサキのマイナー車種で、個人的にはたいへん気に入っていたものの、オーナーの数が極端に少なかった。とくに希少であったり高価であったわけではない。たんに人気がなかったのである。マイナーゆえの悲しさか、当時その車種のファンサイトはたったひとつしかなかったのだが、せっかくだからとサイトにあったオーナー名簿に名前と車種を登録しておいた。Aさんはそのオーナー名簿を見て、わたしにメールをくれたものらしい。

それまではひとりで適当に乗りまわすだけで、ツーリングのようなイベント的なことは経験がなかった。おもしろいかもしれないと思い、ぜひ行きましょうという返事を出した。さっそくその週の土曜日の朝10時、上野駅入谷口のバイク街で待ち合わせをすることになった。

有名なバイク屋コーリンの前に到着すると、わたしのとまったく同じ真っ黒のカワサキが停まっていた。それがAさんであった。Aさんは一見ちょっとホスト風のやせた人で、歳のころはわたしと同じく20代後半のようであった。

「あ、どうも」「どうも」

簡単な自己紹介ののちに、さっそく出かけようということになったが、行き先を決めていない。どうするんだろうと思っていたのだが、Aさんも同じように思っていたようである。とくにあそこに行きたいという希望はなかったので(「ので」という言いかたが妥当かどうか知らないが)、とにかく北のほうへ行くことにした。

出発してすぐに、Aさんが合図を出して単車を道ばたに止めた。「お金をおろしてきます」と言う。でも銀行なんて見あたらない。あるのは薄汚れた雑居ビルだけだったが、Aさんは悠然とビルのなかに入っていった。しばらくするとAさんが出てきて言った。

「行きましょう」

見上げると、ビルにはアコムの看板があった。

われわれは池袋から川越街道に入り、あとはひたすら北へ北へと向かった(正確には北西へ)。週末だったからか、道路の混雑は並大抵のものではなかった。横幅の大きな単車だったので、すり抜けもままならない。ひたすらストップ&ゴーを繰り返す。東京を抜け出すころには夕方になってしまっていた。この調子ではこの先どうなるのか大いに思いやられる。しかしこんなところで引き返すわけにはいかない。われわれは無言で先へ先へとすすんだ。

埼玉を抜け、群馬に入った。途中、何回か道路わきのコンビニで缶ジュースを飲んだ。二言三言、どんな仕事をしているかなどの話をした。Aさんはシステムエンジニアをしているとのことだった。

秩父の山に入ると、冷気が身にこたえた。たしか9月の初旬ごろだったと思う。東京はまだまだ暑かったので、Tシャツ+Gジャンという普段着で出かけたのがいけなかった。本来ならいちばんの楽しみであるはずのワインディングロードを駆け抜けながら、油断して軽装で出かけてしまったことを後悔した。骨の髄まで寒さがしみるとはこのことである。歯がガチガチを音を立てて止まらない。しかし、途中に何回か通過したトンネルに救われた。それまで、トンネルの中があんなに暖かいとは知らなかった。ふだんは狭苦しくて嫌いなトンネルも、このときばかりはいつまでもつづいてほしいと願った(が、もちろんそうはいかない)。

途中、山道の工事現場の交通規制でAさんとはぐれてしまった。少し先で見つけた山中の駐車場でAさんを待ったが、なかなかあらわれない。30分ほど待ったあと、もう先に行ってしまったのだろうと判断し、思い切って出発することにした。すでに午後8時をまわっていた。こんな山のてっぺんで同行者を見失い、こんな寒いなかをひとりで帰るのだと思うと、なかなかきついものがあったが、しかたがない。

1時間くらい走り、駐車場で休憩をしているときに、単車の排気音が聴こえてきた。Aさんであった。わたしが待っていたのとは別の場所で、Aさんもまたわたしを待っていたのだという。Aさんをひとり残して出発したことを申し訳なく思ったが、Aさんは涼しい顔で文句のひとつも言わなかった。わたしはAさんの行動と態度に感謝した。

われわれは再出発した。甲府まで行き、そこから甲州街道でひたすらまっすぐ東京へ戻る計画である。山梨の甲州街道は、片側一車線のほんとうに細い道路であった。まるで国道っぽくないという以上に、この道がえんえんとつづいて新宿にいたり、最後に皇居にぶつかって終わるということを考えると、少し不思議な気分になった。

山梨のコンビニで少し休憩をした。缶ジュースを飲み終わり、さあ出かけようと単車にまたがってエンジンに火を入れたとき、道ばたからふらふらとひとりのおじさんがやってきた。明らかに酔っぱらっている。アルコール依存症であったころの祖父と感じが似ていたのですぐにわかった。われわれに近づいてきた。息が酒臭い。おじさんは陽気な調子で、「バイクはいいねぇ」と話しかけてきた。「これはハーレーじゃないな?」と、なかなか鋭い。

「どこのもんじゃ?」

おじさんの質問の意味がわからず、一瞬、奇妙な間が空いてしまった。おじさんはあいかわらずヘラヘラしているが、このような陽気な酔っぱらいというのは、素面にとってはなかなか扱いづらい存在である。その陽気さがいつ豹変するかもしれないというかすかな不安が脳裏をかすめる。Aさんが思わず聞き返した。

「はい?」

微妙な空気を察してか、おじさんの表情が少し固くなった。おじさんは繰り返した。

「どこのもんじゃ?」

わたしは、「きみたちはどこから来たのか?」という趣旨の質問かと推測して、こう答えた。

「東京から来ました」

おじさんの表情からみるみる笑顔が消えた。彼はこんどは強い調子でこう尋ねてきた。

「東京の、どこの組じゃ?!」

どこの組。なんだかよくわからない(けれども、どちらかといえばまずいような気がする)展開になってきた。こんどはわれわれのほうがヘラヘラする番である。適当に相槌をうって、そそくさとスロットルを回してコンビニをあとにした。

時刻は0時をまわろうとしていた。あとはただひたすら東京へ向かって一直線に走る走る。真夜中の上り車線は空いていて、われわれはときどきトラックを追い抜いたりトラックに追い抜かれたりしながら快調に帰路を急いだ。

しかし考えてみたら、朝から缶ジュースだけでなにも食っていない。腹が減った。しかしここまできたら早く帰りたいという気持ちも強くなる。なにしろ十数時間ほとんど単車に乗りっぱなしなのだ。と、信号待ちをしているときにAさんが単車を横につけてきて、「メシ食います?」と聞いてきた。そう言われると無性に食いたくなる。なにを食いたいかと問われたので「ハンバーグ」と答える。「いいっすね」とAさん。

甲州街道沿いに見つけたファミレスでその日はじめてのメシを食うことにした。ファミレスの駐車場に入ると、ちょうど店の入口の真ん前が空いていたので、そこに単車を2台並べて停める。

もちろんハンバーグステーキを注文し、それにライスの大盛をつけてむさぼるように食らいついた。甲府で出会ったおじさんの話などもすればよかったのだが、ふたりとも食べることに集中した。あと少しで布団に入れる。そう思ったのか、ふたりとも無口であった。

店を出て、われわれは愛車を前に呆然と立ちすくんだ。駐車場に停めたわれわれの愛車に、銀杏の実が雨あられと降り注いでいる。雨あられというのはおおげさかもしれないが、しかし何十個もの銀杏が、単車のタンク、シート、フェンダー、エンジン、ヘッドライト、そしてハンドルにいたるまで、あらゆる場所にこびりついていた。放心して眺めているうちにもまた新たな銀杏が降ってきて、タンクの上に落ちる。銀杏は「パチン」と勢いよく破裂音を響かせた。

近寄ると猛烈な銀杏臭が漂ってくる。そうか、だから入口前の絶好の駐車スポットであるにもかかわらず空いていたのか。われわれはファミレスに戻り、紙ナプキンを大量にもらってきて無言のまま銀杏を拭きとった。もちろんきれいに拭きとれるわけがない。しかし、少なくともハンドルやステップ、タイヤに付着した銀杏は取り除いておかなければならない。ヌルヌルと滑って危ないのである。近所に住んでいるらしいおばさんが、落ちた銀杏をコンビニ袋に詰めて去っていった。

それからの帰り道は銀杏臭との戦いであった。バイクだけでなく体中が銀杏臭いような気がしてくる。信号待ちでは、ブーツの底にこびりついた銀杏をアスファルトで削ぎ落とそうとするのだが、逆に滑って転んでしまいそうになった。

われわれは新宿を抜け、四谷を抜け、そして半蔵門に到達した。終点である。皇居の堀に単車を停め、今日の無事を祝い、再会を誓ってふたりは別れた。

「それじゃ」「また」

あれからAさんとはいちども会っていない。名前も忘れてしまった。いまはどこでなにをしているだろうか。まだアコムでお金を借りているだろうか。単車には乗っているだろうか。