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哲劇メモ

吉川浩満(@哲学の劇場)の日々の泡

蛇蝎(*)

ぼくはAと親しい間柄なのだが、同様に親しいBは、Aのことを蛇蝎のごとく嫌っている。

Aがなにををしようとなにをいおうと、それはくつがえらない。そういう仕組みになっている。Bは、Aの表だった言行には決してあらわれてこない「人間性」のようなもの(とBが想定しているもの)を、そしてそれのみを指弾しているのだから。Aの言行はきれいごとで塗りかためられている、みんなはAにだまされている、でも俺(だけ)はだまされないぞ、というわけだ。

Bにとって、Aが思いもよらないようなところで思いもよらないような言行をしたり(しなかったり)している(かもしれない)ことや、思いもよらないような人(たとえばぼく)と思いもよらないようなしかたで心をかよわせたり(しなかったり)している(かもしれない)ことなどは、それこそ思いもよらないことのようである。

そんなことを考えながら、Bが「人として……(つまらない/くだらない/許せない)」(大意)なんてことを口にするとき、思わず「きみはなにを知ってんの?」と尋ねてみたくなることがある(修辞疑問)。でも、それも詮無いことのような気がする。だって、Bにとってそんなことは関係ないのだから。それに、A(やA的なもの)にたいする敵意こそ、Bが「やっていく」ために必要不可欠なものなのかもしれないからだ。さらに、そんなことを口にするBもまたぼくにとっては魅力的であり、それどころか、そんなことを口にしがちなところが魅力の一部でもあったりする場合、なんともいえない気持ちになる。

こういうことすべてがごくごくあたりまえでありふれたことだ。でも、ときどき疲れる。また、ぼくのほうこそAのように蛇蝎のごとく嫌われたり、Bのように蛇蝎のごとく嫌ったりすることがあるのはいうまでもない。そういうときは少し寂しくなる。

  • (*)蛇蝎=へびとさそり。人の恐れ嫌うもののたとえ。じゃかつ。「―の如く嫌われる」(『大辞林三省堂