隙間産業
世の中にはいろんな隙間があり、いろんな産業がある。
哲学にも隙間産業がある。人があまり手を出さない/出せない物事(=ニッチ)を扱う場合だ。ベーダーンタ学派研究とか。もっとも、哲学の専門研究はそれ自体で隙間産業なのかもしれない。
それとはちがった意味で、哲学は隙間産業そのものであるのかもしれない。「内在」と「超越」のあいだの隙間を扱う場合。隙間を測ったり、隙間を広げたり、隙間を狭めたり、隙間を埋めたりすることで商売をしている。
ウィトゲンシュタインの提案は、「隙間のマッチポンプはもうやめようよ」ということだった。
追記
id:Mr_takさんからいただいたコメントに触発されて考えるに、上記の提案云々のまとめは不適切であった(「不適切」というのは「表現のしかたになんらかの問題があった」とかいう意味ではまったくなく、正しいとも間違っているとも言えない=しょーもない言明だったという意味)。ご示唆に感謝!(Mr_takさんの意図されたこととは別のことを考えているような気がするけれど)