読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

哲劇メモ

吉川浩満(@哲学の劇場)の日々の泡

しかし、ぼくたちの庭を耕さなければなりません

カンディード 他五篇 (岩波文庫)

カンディード 他五篇 (岩波文庫)

カンディード! 新訳。さらに5篇のコントとともに分厚くなって生まれ変わった。でも中身がぜんぜんちがうのにISBNが同じだと(同じなんです)、いろいろと問題が起きそう。たとえば、Amazonマーケットプレイスなど古本をISBNで管理しているところでは、そのままだと旧版と新版の区別がつかない。実物を見ればすぐにわかることだけれど、ネットで古本を購入する際にはご注意を。

新版の『カンディード』に収録されている6篇のうち、「ミクロメガス――哲学的物語」「メムノン――または人間の知恵」「スカルマンタドの物語――彼自身による手稿」の3篇は、特殊版元・国書刊行会から刊行されている叢書「バベルの図書館」でも読むことができる(邦題は新版)。

「バベルの図書館」とは、イタリアの出版社フランコ・マリーア・リッチ社がホルヘ・ルイス・ボルヘスに編纂を依頼してつくられた作家別文学全集のこと。全30巻で、ボルヘスにしか考えつかないようなとんでもないラインナップ。浅学非才のわたくしは何人かの作家をこの全集ではじめて知るにいたった。各巻にはもれなくボルヘスによる作家論もついてくる。さらには美しい装丁...(左は函、右は本体) ちなみに、本体の装丁はフランコ・マリーア・リッチ社版をできるかぎり忠実に再現したものになっている(いちばん下の"Kokusho Kankokai editore"の部分はちがうけれど)。

巻構成は下記のとおり。

  1. G・K・チェスタトン――アポロンの眼
  2. サキ――無口になったアン夫人
  3. N・ホーソーン――人面の大岩
  4. F・カフカ――禿鷹
  5. J・ロンドン――死の同心円
  6. O・ワイルド――アーサー・サヴィル卿の犯罪
  7. ヴォルテール――ミクロメガス
  8. H・G・ウェルズ――白壁の緑の扉
  9. H・メルヴィル――代書人バートルビー
  10. 蒲松齢――聊斎志異
  11. E・A・ポー――盗まれた手紙
  12. Gマイリンク――ナペルス枢機卿
  13. L・ブロワ――薄気味わるい話
  14. H・ジェイムズ――友だちの友だち
  15. 千夜一夜物語 バートン版
  16. トルストイほか――ロシア短篇集
  17. R・L・スティーヴンソン――声たちの島
  18. L・ルゴーネス――塩の像
  19. J・カゾット――悪魔の恋
  20. コルタサルほか――アルゼンチン短篇集
  21. A・マッケン――輝く金字塔
  22. J・L・ボルヘス――パラケルススの薔薇
  23. W・ベックフォード――ヴァテック(正・続)
  24. 千夜一夜物語 ガラン版
  25. C・H・ヒントン――科学的ロマンス集
  26. ダンセイニ卿――ヤン川の舟唄
  27. R・キプリング――祈願の御堂
  28. P・A・デ・アラルコン――死神の友達
  29. ヴィリエ・ド・リラダン――最後の宴の客
  30. G・パピーニ――逃げてゆく鏡

全巻そろえたくなるでしょう(なりませんか)。ちなみに、わたくしがとくに気に入っているのは、「ヴォルテール」「L・ルゴーネス」「C・H・ヒントン」「G・パニーニ」の巻。しかし、残念ながらすでに版元品切再版未定の巻もチラホラ。件のヴォルテールの巻はまだ在庫があるようだ。

国書刊行会
http://www.kokusho.co.jp/

フランコ・マリーア・リッチ
http://www.fmrspa.it/

ホルヘ・ルイス・ボルヘス - 哲学の劇場
http://www.logico-philosophicus.net/profile/BorgesJorgeLuis.htm

追記

更新を終えて布団に入ってから、ジル・ドゥルーズヴォルテールについて語った言葉を思い出した。

ロベール・マジオリ(聞き手)――(中略)ライプニッツのことは誰でも知っているとはいえ、それは『カンディード』経由の理解にすぎないし、「考えうるかぎりで最良の世界」という言葉をヴォルテールが嘲笑したから、ライプニッツが知られているにすぎないのです。この質問はほんの冗談だと思って聞いていただきたいのですが、こんなふうに愚弄されると、哲学者の名声に傷がつくものなのでしょうか。

ジル・ドゥルーズ――そうはおっしゃいますが、ヴォルテールもれっきとした哲学者なのだし、『カンディード』はとても重要なテクストなのですよ。ライプニッツからヴォルテールに移りかわるところで演じられたのは、思想史でも特に重要なターニングポイントです。ヴォルテールは啓蒙の光を一身に体現している。つまり光の体制そのもの、そして物質と生命の体制、さらには理性の体制がほかならぬヴォルテールなのであり、これがバロックの体制とはまったく違うものになっているわけです。ライプニッツがこの新しい時代を準備したのだとしても、大筋は変わりません。新しい時代になって神学的理性が崩壊し、理性は純然たる人間的理性に変貌するからです。しかし、バロックそのものが、すでに神学的理性の危機をあらわしていた。つまりバロックとは、崩壊しつつある世界を再構築する最後のこころみだったのです。分裂病の定義もこれとやや似たかたちでなされているし、いわゆるバロック型の舞踏と分裂病患者の姿勢が対照されたことすらあるのです。しかし、自分たちの世界は考えうるかぎりで最良の世界だ、とライプニッツが語るとき、この「最良」は古典主義時代の善にとってかわり、まさに善の破綻を前提にしているのだということを忘れてはならない。自分たちの世界が最良のものであるのは、それが善に支配されているからではなく、新しいものを産み出し、それを受けいれるのに適しているからだ。ライプニッツはそう考えるわけです、とても面白い考え方だし、ヴォルテールにしても、まさかこの考え方を拒絶することはないでしょう。ふつうライプニッツオプティミズムとされているものとは似ても似つかない考え方です。それどころか、ライプニッツの場合、進歩の可能性はことごとく劫罰をめぐるバロック的な考え方にその根拠を置いている、つまり考えうるかぎりで最良の世界の出現は、劫罰を約束された者によって支えられているのです。なぜそうなるかといえば、劫罰を運命づけられた者はみずから進歩をあきらめ、またあきらめることによって果てしなく大量の「進歩性」を解き放つにいたるからです。この点からすると、ベラヴァルのすぐれた翻訳で読むことのできる「哲学者の信仰告白』はじつにすばらしい文章だといえます。この本にはベルゼブルの歌が出てきますが、これは悪について書かれた文章のなかで、おそらくもっとも美しいテクストだと思う。いま危機に瀕し、崩壊しつつあるのは、もはや神学的理性ではなく、啓蒙の理性とも呼ばれる人間的理性のほうなのです。そこで、人間的理性をいくらかは救い、再構築するためのこころみをつうじて、私たちはネオバロックなるものに立ち会うことになる。だからこそ、私たちはヴォルテールよりもライプニッツに近い立場に立つのではないでしょうか。
――ジル・ドゥルーズライプニッツについて」、『記号と事件――1972-1990の対話』宮林寛訳、河出書房新社、1992(改版1996)

記号と事件―1972‐1990年の対話 (河出・現代の名著)

記号と事件―1972‐1990年の対話 (河出・現代の名著)