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哲劇メモ

吉川浩満(@哲学の劇場)の日々の泡

穴を掘る、穴を埋める

随想


穴を掘る。スコップで土をかきだす。なぜ掘るのか。そこで躓いたからだ、ときみは言う。

しかし、いくら掘っても、そこにはなにも見つからないだろう。そもそも、躓いたのは地面においてであり、地中においてではなかったわけなのだから。

もちろん、あらゆる意味でなにも見つからないというわけではないだろう。穴掘りはおもしろい。掘り進めていくと、その土の硬さ、匂い、地層の様子などに触れることができる。だからついつい夢中になるのだ。

しかし、それがなんだというのか。そう、なんでもない。地面で躓いたことの原因を、地中でなら見出せるとでも思っているのか。

穴をどこまで掘り進めるかは、きみがどこで納得するかにのみ、かかっている。または、どこで挫折するかに。

あとは、さきほど掘った穴を埋めていく作業があるばかりだ。しかし、ひょっとしたら、これがいちばん大事な作業なのかもしれない。穴掘りよりもずっと。

とにかく、穴埋めに手を抜いてはならない。かきだした土をきちんと穴に戻し、踏み固めておかねばならない。ほんの少しでもかきだした土を残してはならない。

これを適当にすませてしまうと、あとでまた躓くことになる。おしゃべりなどをしている最中に、気がつかないまま当の場所に足を踏み入れる。そのとき、グシャとしたやわらかい感触とともにきみはふたたび躓くことになるだろう。さらにわるいことに、そのとききみは、やはり自分は躓くして躓いたのだと小躍りしてよろこび、そこでまたふたたび穴掘りをはじめてしまう破目になるのだ。

傍らを過ぎる通行人は笑うだろう(もしかしたら怒りだす人もいるかもしれないが、べつにきみは人から怒られるほど大それたことをしているわけでもなかろう)。

笑われることで、きみは自分の行為を恥ずかしく思うかもしれない。でも、それを気にすることはない。勝手に笑わせておけばよい。きみの穴掘りは通行人にとってはほとんどどうでもよいことなのだから。ただ、穴を掘ってしまったからには、穴を埋めることにも注力せねばなるまい。もちろん、苦労して穴をきれいに埋めたところで、ほめてくれる通行人などだれもいないことだろうが。

きみは、穴を掘れば笑われ、またその穴を埋めたところで、だれからほめてもらえるというわけでもない。しかし、それはあたりまえのことだ。もともと穴などなかったところに穴を掘ったのはきみなのだから。きみは、ただただきみ自身のためにのみ、穴を埋めればそれでよい。

穴を埋めることができたとき、一連の作業はきみの糧になっただろうか。なるわけがない。いやむしろ、なったなどと考えてはならない。穴埋めは、きみの好きな単車のようにきみをどこかすてきなところへ連れ出してくれるわけではない。穴埋めは穴埋めにすぎない。ただ、穴を埋めたことによって、これまでどおりに歩き回れるようになった、ただそれだけのことだ。

とにかく、穴埋めに手を抜いてはならない。