哲劇メモ

吉川浩満(@哲学の劇場)の日々の泡

17年ゼミ(続)

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20040517-00000020-mai-soci
17年ごとに米東部で大発生することで知られる「17年ゼミ」の羽化が本格的に始まった。6月末にかけ数十億匹が羽化するとみられており、今年の米東部はセミの鳴き声で騒々しい初夏を迎えそうだ。

数十億匹、多ければ数兆匹……すごい。
17年周期……なぜだ。
cf. id:clinamen:20040516#p2

編集者A氏が教えてくれたところによると、サイモン・シンフェルマーの最終定理――ピュタゴラスに始まり、ワイルズが証明するまで』青木薫訳、新潮社、スティーヴン・ジェイ・グールド『ダーウィン以来――進化論への招待』浦本昌紀、寺田鴻訳、ハヤカワ文庫において、件の「17年ゼミ」についての記述が見られる(ご教示に感謝)。

以下、『ダーウィン以降』のグールドによる解説をご紹介。繁殖周期の17年が「素数」であることがポイントのようだ(『フェルマーの最終定理』の方はいま手元にないので、こちらは原物を入手してからあらためてご紹介したい)。

西暦九九九年、マダケが中国で花を咲かせた。それ以後、この竹は、ほぼ一二〇年ごとにきわめて規則的に花をつけ、実を結びつづけてきた。マダケはどこに生えていてもこの周期をくり返す。一九六〇年代後半に、日本の品種(これ自体、何世紀も前に中国から移植されたもの)は、日本、イングランドアラバマ州ソ連で同時に実を結んだ。この話を眠り姫の話と並べるのはこじつけではない。というのは、マダケは一世紀以上もの禁欲のあとに有性の繁殖を行なうからである。けれども、マダケはグリム兄弟の童話とは二つの重要な点で異なっている。第一に、この植物は一二〇年の禁欲生活の問、活動をやめているわけではない。彼らは草であるから、地下茎から新しい筍を出すことによって無性的に増殖する。第二に、彼らはのちのちまで幸福に暮らすわけではない。実を結んだあと枯死してしまうのである。待ちあぐねた末のつかのまの幸福というわけだ。

(中略)

竹の開花という話は、われわれアメリカ人の多くにそれよりよく知られている驚くほどの周期性についての話を思い起こさせる。つまり、周期ゼミまたは一七年ゼミのことである。一七年ゼミの話は、多くの人が考えているよりももっとびっくりするような話である。一七年の間というもの一七年ゼミの幼虫は地下にいて、合衆国の東半分全体にわたって森林の木の根から樹液を吸っている(南部諸州は例外で、そこでは非常に似た種かあるいは同じ種が一三年ごとに羽化する)。やがて、わずか二、三週のうちに、何百万という完熟幼虫が地中から現われて成虫になり、交尾し、卵を生み落として死ぬ(進化的見地からの最良の説明は、M・ロイドと H・S・ダイバスの一九六六年の論文〔M. Lloyd and H. S. Dybas, 1974〕と一九七四年の論文〔H. S. Dybas and M. Lloyd, 1974〕に見られる ) 。最も注目すべき点は、一種ではなく三種の別個の一七年ゼミが、正確に同一のスケジュールにしたがって、まったく同時に羽化することである。地域が異なれば羽化が同時でないこともある。たとえば、シカゴ周辺のものはニューイングランド産のものと同じ年には羽化しない。けれども一七年の周期(南部では一三年)はどの地域でも変わらなくあって、三つの種は同一地域ではいつもいっしょに羽化する。このセミと竹とは生物学的にも地球上で見られる場所でも異なっているのだが、進化上の同一の問題を示している、とジャンセンは考えている。最近の研究は「おそらく年を数える方法を除くと、これらの昆虫と竹との間には著しい質的な差は何もないことを明らかにしている」と彼は書いている。

(中略)

最も妥当だと思われる説明を正しく評価するためには、ヒトの生態が、ほかの生物たちの生存闘争を理解するために提供できるモデルは、しばしば貧弱なものでしかないことを理解しておく必要がある。ヒトはゆっくりと成長する動物である。ヒトは少数の成熟の遅い子どもを育てるために、多大なエネルギーを投入する。人口は、他の生物に見られるようにほとんどすべての若い成員が大量に死ぬことによって調節されるというようなことはない。だが、多くの生物は、その「生存闘争」において、ヒトとは異なる戦略にしたがう。彼らは、少数のものたちが生後初期の苛酷な生を乗りこえて生き残ることを(いわば)望んで大量の種子や卵を生産する。これらの生物たちの個体数は、しばしば捕食者によって調節される。そこで彼らの進化上の防衛策は、食われる機会を最小にする戦略でなければならないことになる。セミや竹の種子はきわめてさまざまな生物にとって格別に美味であるらしい。

自然誌とは、かなりの程度まで、捕食を回避するためのさまざまな適応の物語である。あるものは姿をくらまし、あるものは自分を味の悪いものとし、あるものはとげや分厚い殻で武装し、はたまたあるものは、有毒な近縁種にひどく似せた自分を進化させる。その防衛策を数え立てればほとんど無限に近く、自然の多様性に対する賛嘆の念を禁じえない。中でも、竹の種子とセミが採用する戦略は非凡である。彼らはきわめて捕食されやすい。けれども、非常に稀にしか姿を見せず、しかもいったん姿を現わしたときにはきわめて大量なので、捕食者たちはこの大盤振舞の御馳走をことごとく平らげてしまうことが不可能なのである。

この防衛策は進化生物学者の間で「捕食者飽食戦略」という名で知られている。効果的な捕食者飽食戦略には二つの適応が必要である。一つは、羽化や繁殖の同期性がきわめて正確でなければならないことである。その結果、市場は事実上満ちあふれることになるが、ただしそれは短期間だけのことである。二つめは、この大量供給は、予想される時期に合わせて捕食者が簡単に彼ら自身の生活環を調整することができないように、ごく稀に起こるものでなければならない。もし竹が毎年開花するとすれば、種子どろぼうはそのサイクルを嗅ぎつけて、毎年大量に自分自身の子どもを生み落とすだろう。けれども、もし開花と開花との間の期間がどのような捕食者の寿命をもはるかに越えるものであれば、このサイクルは嗅ぎつけられないだろう(自分自身の歴史を記録する霊長類の奇妙な一種によって嗅ぎつけられたのを除けば)。個々のセミや竹の個体にとって、同時発生の有利さはきわめて明らかである。遅れをとったり早すぎたりしたものはただちに食いつくされてしまう(実際、時期はずれの年に羽化する「迷子」のセミもときどきいるが、彼らの子は決して生存のための足場を確保することができない)。

捕食者飽食戦略という仮説は、いまだ実証されてはいないけれども、妥当な説明が必要とする主要な規準を満たしている。つまり、この仮説は、そうでなければばらばらのままに――そしてこの場合はまったく奇妙なものとして――とどまる一連の観察に秩序だった説明を与えている。たとえば、われわれは、竹の種子は広範な種類の動物たちに好んで食べられるのを知っている。その中には長い寿命をもった多くの脊椎動物も含まれている。一五年ないし二〇年よりも短い開花周期が稀であることは、この文脈で意味をもつ。われわれはまた、結実の同期性はその場所を竹の種子であふれさせることができるのを知っている。ジャンセンは、一つの例として、親竹の下に六インチの厚さに積もった種子の層のことを記録している。マダガスカル産の竹の二種は集団開花の間に、一〇万ヘクタールものひろい地域に一ヘクタール当たり五〇キログラムの種子を産出した。

三種の一七年ゼミの同時発生には特に印象深いものがある。その一つは、地域によって羽化する年がちがうのに、どんな地域でも三つの種のすべてが必ずいっしょに羽化することである。だが、私が最も深い印象を受けたのは、その周期の長さ自体である。なぜ一三年ゼミと一七年ゼミがいるのに、一二年、一四年、一五年、一八年という周期がないのだろうか。一三と一七とは一つの特徴を共有しているのだ。この数字はセミを食べるどんな捕食者の生活環よりも長いのだが、同時にこれらは素数でもある(それぞれ、それらよりも小さい整数によっては割ることができない)。セミを食べる多くの動物の生活環は二年から五年である。

そこで捕食者が二年から五年に一回だけ全員が繁殖する作戦をとると仮定してみよう。このような周期は周期ゼミを食べるために設定されたものではない(というのは、このような短い周期はセミが羽化しない期間に何回も循環するからである)。だが、捕食者の繁殖の年とセミの羽化の年がたまたま一致してしまうときには、セミはひどく捕食されるだろう。たとえば、五年の周期をもつ捕食者の場合を考えてみよう。もしセミが一五年ごとに羽化するとすれば、羽化の年は捕食者の出る年と一致してガツガツ食われてしまうことになる。ところが大きな素数を周期にすれば、セミは二つの周期が偶然に一致する回数を最少にすることができる(一七年ゼミの場合、5×17、つまり八五年ごと)。一三年と一七年のサイクルは、それより小さい数からは嗅ぎつけることはできないのである。

ダーウィンが述べたように、大半の生物にとって生存とは闘争である。生存のための武器は爪や歯である必要はない。繁殖の様式もまたそれと同様に役に立ちうるのだ。たまに大量に出現することも成功への道なのである。卵を一つの龍に全部いれることもときには有利である。けれども十分な数にすることを忘れないように。そして、そんなことはあまりしばしばやらないように。

スティーヴン・ジェイ・グールド『ダーウィン以来――進化論への招待』浦本昌紀、寺田鴻訳、ハヤカワ文庫、pp.145-153