哲劇メモ

吉川浩満(@哲学の劇場)の日々の泡

山椒魚の話

この書物には虚構の人物も虚構の出来事も描かれていない。人物も場所もすべて実名で語られている。イニシアルを使った場合は、個人的な配慮によるものである。まったく名前が示されていない場合は、人間の記憶がそれらの名前を憶えておくことができなかったからにすぎない。だが、すべてはここに描かれているとおりであった。


一九四九年ごろ、私は友人たちと科学アカデミーの雑誌『自然』の誌上に注目すべき記事を見つけた。そこには小さな活字で次のようなことが書かれていた。コルイマ河の岸で発掘作業中、偶然、地下の氷層が発見された。それは凍結した大昔の流れであったが、その中からこれもやはり凍りついた数万年前の動物が発見された。その動物が魚だったかサンショウウオだったかはともかく、それがとても新鮮なまま氷づけになっていたため、記事を書いた学者の目撃したところによると、その場に居合せた人びとは氷を叩き割り、さっそくその場でそれらの動物をよろこんで食べてしまったという。


あまり数多いとはいえないこの雑誌の読者たちは、おそらく、氷の中では魚肉がなんと長持ちするものかと少なからず驚いたにちがいない。だが、不用意にも掲載されてしまったこの記事のもつきわめて意味深長な側面に気づくことのできた人は少ない。


私たちにはすぐわかった。その場面が微細な点に至るまでありありと念頭に浮んできた――その場に居合せた人びとがどんなに慌てふためいて氷を叩き割り、崇高な魚類学的興味などには目もくれず、互いに肘で仲間を押しのけながら、何万年前の肉の氷づけをちぎり取って、焚火のところへ引きずっていき、氷を融かし、がつがつと腹に詰め込んだか、が。


なぜわかったかといえば、私たち自身もその場に居合せた人びとと同類の、強大な囚人族の一員だったからである。この地上で、サンショウウオよろこんで食べることができる唯一の種族は囚人だけである。


コルイマは《収容所》という驚くべき国の最も大きく最も名高い島であり、苛酷の極地ともいうべき場所であった。この国は地理的に見れば群島の形で散らばっていたが、心理的には一つに合わさって大陸をなしていた。ほとんど目に見えず、ほとんど触れることのできない、大勢の囚人たちの住む国であった。


この《群島》は国じゅうのあちこちに入り組んで点在し、都市の中に入り込んだり、通りの上におおいかぶさったりしていた。それにもかかわらず、まったくそれに気づかぬ人びともいた。いや、漠然と何か耳にしていた人びとはかなり多くいたのだが、その実情はそこにいたことのある人びとにしかわからなかったのである。


しかもそういう人びとまでが、まるで《群島》の島々で言語能力を失ってしまったかのように、ずっと沈黙をまもってきた。


わが国の歴史が思いがけぬ方向転換をしたために、この《群島》の事情が何やかやほんの僅かながら明るみに出た。ところが、われわれの手錠のねじを締めあげたその同じ手が、今度は取りなすような制止の手つきをしているのだ。「いけませんよ !  過去をほじくり返したりするなんて!……《昔のことを憶えている者は、片目が飛び出す!》っていうじゃありませんか」ところが、この諺はその先をこう結んでいるのである――《忘れる者は、両目とも!》


歳月が流れていき、過去の切り傷やただれを永久に舐め浄めていく。その間にある島々はぐらりと揺れて、地すべりが起き、今は忘却の北氷洋のかなたに没してしまったものもある。やがて来世紀のいつか、氷層に閉ざされたこの《群島》、そこの空気、住入たちの骨があらわれ、例のサンショウウオのように後世の人びとからうさんくさく扱われるであろう。


私はこの《群島》の歴史を書こうとするほど厚かましくはない。というのも、《群島》の記録を読む機会に恵まれなかったからである。しかし、そんな機会に恵まれる人がこれから先あるだろうか? 思い起すことを望まない人びとにはすべての記録をきれいさっぱり抹殺する時聞がこれまでにも十分あったし、これからもあるだろう。


私はそこで過した十一年間を恥だとも呪わしい悪夢だとも思わず、かえって自分の血とし肉とした。いや、それどころか、私はあの醜い世界をほとんど愛さんばかりであった。そして今や、幸せなめぐり合せによって、《群島》の新しい話や手紙がたくさん私のもとに寄せられている。だから私はそうした骨や肉をいくらか提供できるかもしれない。もっとも、それは例の発掘の時のとは違って、まだ生きている肉、今日もまだ生きているサンショウウオであるが。

ソルジェニーツィン『収容所群島――1918-1956 文学的考察』木村浩訳、新潮社、1975