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哲劇メモ

吉川浩満(@哲学の劇場)の日々の泡

僕の西暦2000年問題

唐突だが西暦2000年の年越し、それを思うと今から憂鬱でたまらない。

映画『ストレインジ・デイズ』ではないが、愚か者どもが気狂いのような狂躁状態に陥り、馬鹿騒ぎをやらかすに違いない。僕には視える、芸能人・文化人の醜態を垂れ流すテレビ各局、新宿や渋谷でのよくわからないカウントダウン・イベント、そしてそこに群がるマゴギャルからオヤジまでの乱痴気集団が。やれやれ。

それにしても、なんで今からそんなことが憂鬱なんだ? 当分先のことじゃないか。それにお前には、その前にもっと気にかけるべきことがあるんじゃないのか? 2週間で月給をほとんど使い果たしてしまうお前のような人間は、そんなことより自分のお金の心配でもしたほうがいいんじゃないのか? そもそも、誰に頼まれたわけでもないのに、なんでわざわざお前が西暦2000年の年越しの心配なんぞしなきゃいけないんだ?

このように、自分にたいするさまざまな疑問が沸いてくるのだが、どうしようもない。馬鹿みたいに反対しても、まわりの大声にかき消されてしまうだろう。それどころか、その大声にさらにボリュームを加えてしまうことにもなりかねない。何事もなかったかのように、まるで普通の一日が過ぎていくかのように年を越したい、年越しの意識すらなくいつのまにか年を越していたい。どうでもいいじゃないかそんなこと、そんなに大したものかよ、まわりのことなんか気にしなきゃいいんだ、とも思うのだけれど、あいにく僕には根本的な弱さがあって、そんな生き方はできそうもない。だから憂鬱なのである。(うん、そのような強迫的(被害)妄想こそが馬鹿騒ぎを生み出すんだとお思いのあなた、あなたは正しい! だからほんと、穴でもあったら入りたいんです。)

西暦2000年の年越しは、テレビもラジオもインターネットもない、田舎の山小屋か何かでひとり寂しく過ごすことができたら、どんなにうれしいだろう。そこで僕は、ザ・ハイロウズの「スーパーソニックジェットボーイ」でも聴いていることだろう。そうすれば、脳天気な馬鹿騒ぎ野郎どもと同次元にある僕の強迫的(被害)妄想が社会に染み出すことが少しは防げるかもしれない。

というわけで、1999年12月31日から2000年1月1日の2日間、私に寂しい山小屋を貸してくださる奇特(で、しかも親切)な方はいらっしゃいませんか?